浦崎ロゴ 物理屋からみたイスラム史

(文系世界史受験補習に登場)

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物理屋からみると、文明や歴史がどう見えるのか、文系の生徒達に講義する機会がありました。

そのとき作ったテキストを紹介します。

詳しい内容は 文明法則史学のホームページ をご覧下さい。

 


〜 世界史・秋季課題講座・第3講「イスラム史」特別出演 〜              1997.10.17. 15:30-16:00

 

            物理屋からみた イスラム史

 

                                         文明物理学研究家 本校物理科教諭

                                                      浦 崎  太 郎

0.はじめに

 物理屋はあらゆる事象に潜む法則性を発見し、物事を統一的に捉えようとする精神を持っています。

 歴史や文明現象も研究の“まな板”に乗せてしまいます。

 

1.SSについて


   古今東西、歴史には人間の一生に類似した展開パターンをもつ「かたまり」が見られる。
 

 この「かたまり」を Social System(社会秩序)といい、SSと略称する。

 SSの典型パターンは p.1(右) に示すとおりで、平均寿命は数百年程度である。

 

<SSの実例> ローマSS, 奈良・平安SS,(→p.2) 隋・唐SS, フランス絶対王政SS etc.

 

◎ 西アジアには、イスラム時代以来、次の二つのSSが存在した。

 

 1) イスラム帝国SS:

   ムハンマド・アラブ統一(630年) 〜 フラグ=ハン・バグダード破壊(1258年)

 2) オスマン=トルコ帝国SS:

   ムラト1世・バルカン進出(1361年) 〜 第一次世界大戦敗戦(1918年)

 

2.イスラム帝国SS (1996年発見 by浦崎)

 まず、各ジャンルの史実を年表上に並べてみる(→p.3)と、以下のようなことが明らかになる。

  1) 西アジア社会(≠中央政権)の最盛期は10〜11世紀の約200年。

  2) とくに際だった活躍をしているのはイラン民族。

 その他、社会心理(文化)の変遷パターンなどから、「イスラム時代の西アジア社会にはSSが

存在していた」と結論できる(→p.4,5)。

 

3.オスマン=トルコ帝国SS (1997年発見 by浦崎)

 同様に、蒙古軍襲来後の西アジアには「オスマン=トルコ帝国SS」が存在していた(→p.6,7)。

 

4.CCについて

 SSの上部構造としてCC(Civilization Cycle;文明サイクル)が存在する(→p.8)。

 CCに注目すると、文明の流れをより鮮明に捉えることができる。

  ・(例)イスラム帝国SSの主役がイラン人だった理由、近代のイスラム大改革運動の意味あいなど。

  ・日本の江戸時代後期から現代に至る歴史の意味あいを、CCの視点からぜひ考えてみてほしい。

 古今東西の文明をひとまとめに表したのが「世界文明総図」(→p.9)である。

 

5.おわりに

 いずれ、こうした視点にたった世界史の参考書を作りたいと思っています。今回の講義に対する、

受験生諸君の忌憚のない意見・感想を聞かせて下さい。よろしくお願いします。

                                                        - 以上 -


参考資料


イスラム帝国SS

1. 社会的に均質な地域・時代

 7〜13世紀の西アジア社会を時間的に眺めてみると、その前にはササン朝が支配する社会が、後にはモンゴル人が支配する社会があり、この社会が前後に明瞭な断層をもつことが分かる。次に空間的に眺めてみると、同じイスラム世界でもエジプト以西は異質な歴史を辿っており、アッバース朝カリフを権威とする秩序が保持される範囲は東方イスラム世界に限られていることが分かる。以上より、社会的な均質性をもつのは7〜13世紀の東方イスラム世界(以下これをイスラム帝国とよぶ)だと結論できる。

2. 社会の盛衰

 東方イスラム世界の分野別年表を以下に示す。

イスラム年表 (34kB)

  この年表から盛衰を掴む上で最も重要なのはイラン系地方王朝の位置づけだ。諸文献はこの点に関して「9〜11世紀の西アジアの人々にとってアッバース朝領と地方王朝領の境界は意識的・実態的に無きが如しであった」旨を記述している。すなわち、イラン系地方王朝は巨大なイスラム帝国の一部をなしていた訳だ。こうした点や社会の安定度・商業の活力・学問の創造力とを併せて考えると、イスラム帝国社会の最盛期は10〜11世紀にあったと結論できる。

 そこで10〜11世紀に注目すると、ブワイフ朝による中央の実権掌握、セルジューク朝の極盛期を下支えした有能なイラン人宰相の存在、ペルシャ散文文学の隆盛、学界におけるイラン人の活躍が目にとまる。つまり、イスラム帝国社会の最盛期を担った主役はイラン人であり、帝国社会の盛衰を探る際にイラン人の動向は無視できないことが分かる。

 この点に気づけば、9世紀における“アッバース朝の衰退とイスラム世界の分裂”が、イスラム帝国社会の骨格形成を担ったアラブ人から帝国社会の最盛期を担うべきイラン人へのバトンタッチを意味することを容易に理解できる。また、イラン人の自主的・漸進的イスラム改宗が最盛期における彼らの活躍への足がかりとなった点、文治主義への転換が商業の大発達をもたらした点、外国語文献の翻訳推進が学問創造の土壌となった点などから、9世紀のイスラム帝国社会は明らかに興隆加速期にあったと結論できる。

 以上、イスラム帝国社会は10〜11世紀を最盛期とする盛衰をもっていたと結論できる。

3. 社会のエージング

 イスラム帝国社会の各期には社会心理を反映した文化が明瞭に現れている(上図参照)。こうした文化型の展開から、2の盛衰が社会のエージングを反映したものであるといえ、イスラム帝国社会はSSを成していたと結論できる。

 以上のような考察に基づいて作成したSS図が下図である。このSSの特徴は、アラブ人→イラン人→トルコ人という三民族のバトンタッチによって成立したところにある。

イスラム帝国SS (35kB)

☆       SSの姿を探る際、中央政権だけでなく社会全体に注意を払う必要のあることを理解できよう。なお、他のSSも同様の手続を経て初めてその実在が認定されている。

 


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