岐阜高校への転勤
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私がこのホームページに関わることになった そもそもの発端は、
岐阜高校へ転勤してきたことにある。その頃のことを紹介しよう。
平成7年(1995年)春、初任校・恵那高校で担任として初の卒業生を送り出して間もなく、私は岐阜高校
への転勤を命ぜられた。母校への転勤であり、転勤先に大学の先輩・加藤知之先生がおられたため、
非常に心強かったし、新しい環境にすぐ慣れることができた。
このホームページでも引き続きお世話になっている竹中洵治先生は、超ユニークな先生という評判が
恵那の地まで伝わっていたので心配(警戒?)していたが、それは竹中先生の一つの側面に過ぎない
ことはすぐに分かった。先生の本領は、このホームページでも十分発揮されている。
また、理科助手の浅野芙美恵先生は間違ったことが大嫌いな女性。竹中先生との漫才コンビは絶妙。
そこに私が加わった訳だが、みな長良川を渡ってくる関係で、出勤がきわめて早い。だから、8時には
物理室の談笑は既にピークに達している。内容は、各自の家庭の話から、エイズ、政治、岐高の将来や
物理教育の課題まで、実に多岐多様。
とにかくすごかったのは、「岐高の物理教育かくあるべし」という話題だった。誰かがうっかり口火を切ろ
うものなら4人の談義は延々と一時間以上に及び、それだけで空き時間が潰れたことは数知れない。
こうした話題で皆が白熱するところに「岐高という所はすごい所だ」と感激したものだった。
このホームページの内容には、当時の談義を想起して記した箇所が随所にある。
竹中洵治先生の風評
「ネクタイを2本しめてきた」「眼鏡を二重にかけてきた」という話を知らない物理教師は、岐阜県にはいない。
ご栄転直前にはワイシャツを二重に着用してこられたという噂もある。