十七世紀も後半になるとフランスでは口語と文語との差が大きくなる。それ以来フランス文学は口語的文体と文語的文体のふたつの可能性をもつにいたる。
「切られた文体」で知られるラ・ブリュイエール。「雄弁の文体」で知られるボシュエ。新しくはサルトルやクノーなどの小説は前者に属するとされる。
また「芸術的な書きかた」を追求したゴーチエやユイスマンスといった十九世紀の多くの作家たちは,後者の典型として,フランス文学の誕生以来綿々とつづいてきた文語文の伝統を究極にまでおしすすめた。
ではプルーストはどうか。文学史上は彼の文章はゴンクールに代表されるような印象主義的な文体の流れにつづくものとされている。『失われた時を求めて』はシャトーブリアンにはじまる十九世紀の芸術的な文語文の探求に終止符をうつ作品であるとされる。
しかしながら,この小説は他方で普通の黙読による読書ではなく,全体のリズムを踏まえて音読したときに最大の効果が得られるようにつくられている。
実際,プラントヴィ−ニュの回想録によれば,プルーストは声の調子を変化させながらいわば「口頭の句読法」をつかって彼の小説の何節かをサ
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ロンで朗読するのが常であった。(Μ.Plantevignes,Avec Marcel Proust,Nizet,1966,p.644.)
この点を考慮することによって,ミィーやフェレやタディエといったプルースト学者は,彼の文体をフランスの口語的な文章の伝統のなかに位置づけようとする。(Cf.J.Μilly,La Phrase de Proust,Larousse,1975,p.201.)
ただ,口語的な文体が『失われた時を求めて』の基調となっていることは,プルーストの文学理念を知る読者には意外である。というのも,彼は小説であれ批評であれ,一般に書きもののなかに話しことばの平俗で即物的な調子をひきいれることを極度にきらっていたからである。(J.Milly,Proust et le style,Minard,1970,p.82.)
彼は著作家と単なる雑談家とをはっきり区別している。そして後者に属すると考えたファゲやサント・ブーヴのような批評家に対しては,プルーストはこれを容赦なく非難する。(Cf.Μ.Proust,A la recherche du temps perdu.Bibl.de la Pleiade,3 vol,Gallimard,t.IΙI,pp.897−8.)
「文学は常に何らかの置きかえを要求する」というプルーストの確信を念頭において,会話のくだけた調子を作品にひきいれるのを彼がいみきらっていた点を考慮すれば,なぜ彼は結果的に口語調をひきいれねばならなかったかという疑問につきあたる。
こうしたプルースト自身の考えを尊重することによって,最終的には彼の文章を文語的なものとしてとらえる研究者も多い。作家のモランやフランス語学者のテリーヴ。文体批評家のシュピッツアー。プルースト学者ではピルーエやゴーベールなどは,それぞれの立場からその文語的な性格を強調している。(Cf.J.Μilly,La Phrase de Proust,pp.200−1.)
なかでも,プルーストの主要な作中人物たちの話しことばが奇妙に書きもの的な色彩をおびている点に注目したゴーベールの論文「会話と書きこ
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とば」は,彼の文体を文語的なものだとみなす考えかたにひとつの大きな根拠を提供しているように思われる。(Cf.S.Gaubert,“La conversation et l´ecriture”, dans: Εurope,Nos.496−7,1970,pp.171−92.)
先の疑問に答えるためにはまずプルーストの文章のどこまでが文語的でどこまでが口語的であるかを明示せねばならない。その手はじめとしてこの作中人物たちの話しことばの書きことば的な性格から述べることにしよう。
まずゲルマント公爵夫人であるオリアーヌの話しことば。つまり,『失われた時を求めて』のなかでフランス王家よりも血筋の確かなゲルマント家の直系である彼女は,ことばの上でも前世紀的な古語にみちたシャンパーニュ方言でしゃべるために,彼女の会話は何か古文書のような印象を話者に与える。(Cf.Μ.Proust,op.cit.,t..II,pp.502−3 et t.III,pp.34−44.)
それから外国の老婦人につきしたがってバルベックのホテルに来るお供の女性であるマリーとセレスト姉妹の言葉づかい。話者の解説によれば,彼女らの話しことばは,「口調のほとんど野生的な素朴さがなかったら気取り趣味だと思われたにちがいないほどに何か実に文語的なもの」をもってぃる。(Cf.ibid.,t.II,pp.846−9.)
また,ポーランドの彫刻家であるスキー(Cf.ibid.,t.II,p.887 et t.III,p.936)や,話者の同棲のお相手であるアルベルチーヌ(cf.ibid.,t.III,pp.129−30)の話しことばも書きことば的な性格が強いように恵われる。彼らの話しことばは,いわば作家を志す話者が便宜上おのれの文学を口頭で実現した習作であるかのように展開する。とくにアルベルチーヌのことばづかいは,彼女が話者との同棲生活に入ってから,話者の文学上の教えを通して次第に書きことばに近づいてゆくという点で一層示唆的である。
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なお,これまでの5人はみなゴーベールの論文のなかで言及されているが,それ以外にも多くの人物の話しことばが書きことば的な色彩をおびている。
まず外交官のノルポワの会話は,現実の外交官がそうである以上にラテン語からの引用句をはじめとする決まり文句でみたされているために,そしてそれらがしばしば場ちがいな文脈のなかで使われるために,そこでは話しことばとしてのコミュニケーションがうまく成立していないように思ゎれる。(Cf.ibid.,t.Ier,p.437 et t.II,pp.242−6.)
また老女中フランソワーズの話しことばのなかにさえも,十七世紀やそれ以前のものである古めかしい言い回しやすたれた用法がちりばめられている。たとえば,話者の注釈によれば,彼女はラ・ブリュイエールが使っているのと同じ意味でplaindreという動詞を使ったり,depenseの代りにdepensという古語を使ったりする。(Cf.ibid.,t.II,p.26.)
プルーストの生んだもっとも興味ぶかい人物のひとりであるシャルリュス男爵の話しことばも完全に書きもの的な色彩をおびている。ドンゼによれば,シャルリュスの長い独白は,何か書きものの一部をただ読み上げているかのような印象を与え,彼自身のものする文学作品から何ら区別されないように思われる。この点については,ジャケー女史が「シャルリュス男爵の言語活動」という論文のなかで彼の言語の極端に文語的な性格について細かく言及している。(Cf.F.Jaquet,“Le langage du baron,de Charlus.”,dans: Bulletin de la Societe des amis de Marcel Proust et des amis de Combray,No.22,1972,pp.1433−46.)
さらには,それぞれプルーストの青少年時代をほうふつとさせるような学生的なぺダンチスムとロマンチックな気取り趣味の持ち主である話者の友人のブロックと技師で作家のルグランダンの話しことばも,作家を志す話者の模作であるという感じはいなめない。(Cf.Μ.Proust,op.cit.,t.
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Ier,pp.67−8,90,126−32.)
このように,プルーストの作中人物たちは,一般に各人がコミュニケーションを目的とせずに何か好きかってにおしゃベリを楽しんでいるかのような印象を与える。そのことが彼らの言語を話しことばから遠ざけ,書きことば的な性格を助長しているように思われる。
実際,ムトンは『プルーストの文体』のなかの「登場人物たちの言語活動」と題された章(Cf.J.Μouton,Le style de Marcel Proust,Nizet.1968,pp.173−207)で,プルーストの作中人物たちは,たまに彼らのあいだで言葉をかわすことがあっても,まったくお互いに理解しようと努めないどころか,むしろ孤立するためにしゃべり合う傾向にあることを結論としてひきだしている。
この書きことば的な性格はまた,彼らの話しことばのなかに,それぞれのモデルとされた人物のことばづかいとは別に,男女の性別は問わず,作者自身の言語特性が織りこまれることによって示されるということにも注意せねばならない。
つまり,作家を志す主人公のマルセルがおのれの文学の可能性を確かめ,それを実現するためにくり返し行なう「自己の模作」こそが登場人物たちの話しことばの正体なのである。
普通,模作といえば,他の作家の文体を模倣することを指すが,プルーストは小説のなかで,いわば小説の筋書きとして,話者に作者のものに還元されるような自己の文体を模作させている。
これでは,彼らの話しことばがことごとく習作的な書きもののような性格をもっているのも,彼らの会話に基本的なコミュニケーションの欠如がみられるのも当り前である。プルーストは,はじめから彼らに正常で自然な話しことばを与えるつもりなどなかったのだから。
そんなわけで,作中人物の話しことばは原則として文語的な要素のなか
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に組み入れた方がよいように思われる。ミィーも,『プルーストの文章』のなかで,それらが真の口語的な言語様式ではない点を強調している。(cf.J.Μilly,La phrase de Proust,p.202.)
ところで,この著作の最後の方で,ミィーは,彼の研究のまとめとして『失われた時を求めて』における文語的な文体の諸要素と口語的な文体の諸要素とを分けて列挙している。そこで,以後は,これらの記述にもとづいて,それらに筆者自身の意見を加えながら述べることになろう。
もちろん,ミィーは,先に筆者が提起したような,プルーストの意に反しての口語的な諸要素と文語的な諸要素の共存の意味を探るという問題には触れていない。ただ,それらの要素をまとめて記述しているだけである。
さて,ミィーは先の著作のなかで,文語的な文体の諸要素としては,文の異常な長さとか,アナグラムとか,心理分析の複雑さとか,比喩の洗練と豊富さとか,語のくり返しや意味の照応とか,限定形式の発展などを挙げている。(cf.loc.cit.)
ただ,最後の限定形式の発展−−文の異常な長さにもつながるのだが−−については,ミィーがこれをはっきりと文語的な要素のなかに組み入れていることには疑問が残る。
限定形式の発展は,とくに関係代名詞などの文中でのくり返しによる文のひきのばしという極めてプルースト的な文体特性を指して言われたものであろう。ある意味で作者の無頓着を感じさせずにはおかないこの種の構文は,したがって文語的な推敲からはほど遠い位置にある。むしろ口語的な気ままさに近いのである。
たしかに,デカルトの著作に代表されるような十七世紀の古典主義的な総合文においては,関係詞のくり返しが多くみられる。
しかし,チボーデによれば,現在ではこの種のくり返しは,書きものの世界から追放されて,もはや話しことばのなかでしかみられなくなった。
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(cf.L.Spitzer,Εtude de style,Gallimard, 1970,p.431.)
また,ミィーが指摘している要素以外にも次のようなものを文語的な要素としてとらえることができる。
まず,lequelやduquelといった文語的な関係詞の比較的多い使用が挙げられる。周知のように,これらの形式は,本来学問的でリヴレスクな面をもっている。その形の重々しさのために現在ではほとんど公式文書のなかでしか使われない。
なお,これらの関係詞は独立した関係節をみちびくのが普通である。しかし,プルーストは単にquiやdontの代りにこれらの荘重な形式を使うことが多ぃように思われる。(cf.loc.cit.)
次に,接続法半過去をはじめとする一般に動詞の接続法時制の大幅な使用(cf.ibid.,p.432)。ただ,プルーストが接続法を好むのは必ずしもそれが文語的な形式であるからばかりではない。ピエール・カンが明らかにしているように,彼がまた関係詞のqueの代りにsoit queとかpeut−etre queとかいった懐疑的で感情的な表現を好んでいるという事実を考慮する必要がある。断定をさけ,感情的な諸要素を前面におしだすために直説法よりも接続法が好まれるという事にも注意せねばならない。(cf.L.Pierre−Quint,“Le style de Μ.Proust”,dans: Nouvelles Litteraires,le 6 juin 1925.)
それから,名詞構文や抽象名詞を前におしだした表現や誇張法による言い換えといった印象主義的な文体の諸要素については,それらは原則として文語的な要素のなかに組み入れることができる。これについては,拙著『プルーストの言語批評」(駿河台出版社刊)の付録を参照されたい。
文語的な要素の列挙はこれくらいにして,口語的な要素の叙述に移ると,ミィーは先の著作のなかで次のようなものを話しことばに属する要素として挙げている。(cf.J.Μilly,op.cit.,pp.201−2.)
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まず,挿入句や節による叙述上の脱線。この傾向は言うまでもなくきわめてプルースト的な文体特性のひとつである。彼にあっては,読者が元の主題を見出すのにかなりの注意力を要するほどにこの種の脱線が長びくことも少なくないように思われる。
次に「〜あるいはむしろ〜」といった式の文中での語句の言いなおし。それらは推敲の跡を感じさせないという限りにおいて,話者の気ままなおしゃベりの調子をよく示している。
それから,いくつかの要素に分割された文形式の存在。ラ・ブリュイエ一ルやサルトルの文体特性とされる「切られた文体」というのがこれにあたる。
また,一人称体の小説の諸特性である,話者の遍在性や,基本的な時制としての直説法現在と半過去の使用。それにともなうiciやmaintenantといった直接話法に属する副詞や指示詞などの使用。
ミィーが挙げているもの以外にも,われわれは,次のようなものを口語的な文体の要素としてとらえることができる。
まず,プルーストがフローベールの文章から受けついだ形式のひとつである自由間接話法。チボーデはそのフローベール論のなかでこの話法がもともと会話のなかで頻繁に使われていた形式である点を強調している。(cf.Α.R.Porter,The Technique of Parody in the Works of Marcel Proust,These: Univ.of Illinois,p.78).話者以外の作中人物のなかでは,とりわけ,女中のフランソワーズがこの話法を好んで使っている。老女中的な口の悪さから何でもずけずけ言いたがる彼女にとって,自由間接話法は「罪を問われずにどんなひどい悪口でも口にすることができる便利な道具」であるからにほかならない。(cf.Μ.Proust,op.cit.,t.Ιer,p,102 et t.IIe,p.359.)
次に,前述のように,関係代名詞などを巧みに用いて文を無限にひきの
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ばそうとする行為は,文語的な推敲からはかけ離れたものであるという限りにおいて,やはり話しことば的であるように思われる。これは大きくみた場合,プルーストの統辞法全体の問題としてとらえることができる。
実際,クレミューは,当時の文学サロンでの社交人士たちの会話のなかで印象的なのは,間髪を入れずに次から次へと関係詞等を用いて巧みに文をつないでゆくその彼らの統辞法である点に言及したあとで,結局プルーストの文章の出発点となっているのは,これらのサロンに通う上流貴族やなり上がり社交人たちの極度に洗練されたおしゃべりのリズムであると判断している。(cf.B.Spillner,Symmetrisches und asymmetrische Prinzip in der Syntax M.Prousts, Verlag Anton Hain,1971,p.186.)
プルーストの統辞法が規範的な文法書の要求する論理的なものではなくてむしろ心理的なものであるという事実や,第一次大戦時における膨大な量の加筆を通して『失われた時を求めて』がひとつの芸術作品に生まれかわるという事実を考慮すれば,そこでは語をけずることに粉骨砕身し一語一語の選択に呻吟するフローベールの制作態度に代表されるような文字通りの文語的な推敲ではなくて口語的な洗練が問題となることに容易にうなづけよう。
さらには,『失われた時を求めて』のとくに後半部に多くみられる記憶にたよっての不正確な引用や誤った引用なども口語的な要素のひとつに挙げられる。プルーストの引用句辞典のなかでその点に注目したナタンによれば,作品全体からみて半分以上の引用はおそらくは彼がきちんと原典にあたって確かめていたために正確であるという事実に注意する必要がある。(cf.J.Nathan, Citations References et Allusions de Proust dans A la Recherche du temps perdu,Nizet,1953,p.14.)
この現象は要するに持病のぜんそくが年とともに悪化し後年はほとんど寝たきりの病人になったプルーストにとって,引用に際していちいち正確
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を期すのが次第に困難になったためだと考えることで説明がつく。ただ,この引用についての言語事実は,どうもそれ以上のもの,本稿を一気に結論へと導くような解決の手がかりを与えているように思われる。病気と文章という角度からもっと一般的な判断を導くことができるということである。
つまり,プルースト自身がどれほど書きもののなかに話しことばの気ままな調子をひきいれることをきらっていたとしても,彼の病弱な肉体が要求する文章形式は,彼の文学理念が要求するものとは異なって,その日々の作業が病人には苛酷でしかも不自然な文語的推敲にもとづいたものではなく,もっと気がるでもっと自然ないわば口述筆記的なおしゃベりのリズムによるものでしかあり得なかったと言うことができる。
「作家は文体によって生理的・肉体的に規制される」と考えて,自由な選択の対象となるエクリチュールの概念から文体の概念を遠ざけたのはバルトである。この意味でゆけば,口述筆記的な息の長い文章形式こそまさしくプルーストの文体だということになる。
『失われた時を求めて』に,カミュの『異邦人』やサルトルの『嘔吐』ほど,エクリチュールとしての強い選択性が感じられないのは,やはり,文体としてのプルーストの生まの声が作品のなかで前面におしだされているからにちがいない。彼が三人称体の小説『ジャン・サントゥイユ』を未完のまま放棄して,最終的に一人称という形式を採用したこと自体が,何よりもその確かな証拠となるのではないだろうか。
しかしながら,プルーストの気質と病気とがいかに口語的な文体だけを要求していたとしても,他方で,「文学は常に何らかの置きかえを要求する」という彼の文学理念とその実践のための努力とは,彼をひとつのエクリチュールの完成へと向かわせずにはおかなかったように思われる。
それが,十九世紀を強く感じさせるような芸術至上主義的な書きかたな
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いしは,それと軌を一にするような印象主義的な書きかたであることは言うまでもない。そして,これらの書きかたを実現するのに一役買っているのが,最初に列挙したような文語的な諸要素なのである。
さて,このように考えてくると,プルーストが書きもののなかに話しことばのくだけた調子をひきいれることをひどくきらっていたのに,何故,『失われた時を求めて』は多くの口語的な要素と多くの文語的な要素とを合わせもつことになったのかという最初に示したような疑問にも一応の答えが得られるように思われる。
つまり,先のカミュやサルトルをはじめとする多くの作家にとっては,小説のなかでバルトが言っている意味でのおのれの文体というものをおさえて,それぞれの政治的・哲学的な立場から,あるいは美学的な立場から,何らかのかたちで時代や社会の一面の真実を照らしだすようなひとつのエクリチュールを選択することは文字通り自由にできようが,生来,思考の動きと表現形式とをほぼ完全に一致させねば気のすまないような気質と,文語的な彫琢・推敲をおっくうがらせるような病気とを合わせもつプルーストにとって,自分自身の口語的な文体といえるものをおしころしてまで,十九世紀という時代が選択を要求していた芸術至上主義的なエクリチュールだけを作品のなかで前面におしだすことはできなかったのだと考えられる。本来,自由であるはずのエクリチュールの選択が生理的な文体に邪魔されて少しも自由ではなくなっているのである。
そんなわけで,『失われた時を求めて』の同時に書きことば的で話しことば的な文章形式は,生理的な文体の存在と芸術的なエクリチュールの完成とのあいだで創作に苦しむプルースト自身の姿をそのまま表現したものだとみなすことができよう。もちろん,結果的には,その中間的・過程的な性格が作品に独創性を与えることになったのは言うまでもない。
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