L.S.MercierのTableau de Paris

における<neologie>


Louis Sebastien Mercier(1740-1814)は,いわゆる<polygraphe>で,劇作家,小説家,評論家,哲学者などの多彩な顔をもつ(1).アンシャン・レジムの末期に生まれ育った者として,Mercierは,旧体制下の万物に否定的である.彼は国王も民衆も僧侶も貴族も等しくその作品の中で嘲笑する.彼は,特に,<melodrame>のもつ表現の力強さを借りて体制を痛烈に批判した(2).時代が時代だけに,Mercierは当時よく読まれた.彼の作品は英語,ドイツ語,イタリア語,オランダ語の4か国語に翻訳されたほどである.しかしVoltaireを師と仰ぎ,Restifを好敵手としたこの多作家も,その膨大な戯曲については現代ではほとんど顧られない.そんな中でMercierの面目を躍如たるものにするのは,文字通り,大革命直前のパリの風俗を精密な絵巻物のように描いたTableau de Paris(3)である.実際,Mercierは,自他共に認める描写の達人である.彼はTableau de Parisの中で自らを<descripteur>と呼んでいる(4).また


(1)<polygraphe>はVoltaireのように多くのジャンルを手がける多作家を言う.

(2)<melodrame>は,1771年に初めて現れる劇のジャンルで,当初は単に音楽を伴う劇を意味したが,1800年頃から波乱万丈の通俗劇の意味をもつ.日本のメロドラマと違って感傷的というより誇張された悲壮さが問題となる.Mercierの<melodrame>としてはLa Brouette de vinaigrier(1775)とLe Deserteur(1782)が有名である.

(3)Tableau de Paris,Nouv.ed.corr.et augm.,Amsterdam,1782-88,12 vol.,4213pp.第1〜4巻は1782年に,第5〜8巻は1783年に,第9〜12巻は1788年に刊行された.引用の指示は巻とページの略号でなされる.

(4)後の用例の13番を参照されたい.

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革命研究の大家であるR.Barrouxは,Mercierのこの大作について彼の序文を長く引用しながら,次のように書いている.

<Je vais parler de Paris,non de ses edifices,de ses temples,de ses monuments,de ses curiosites,etc.[...] Je parlerai desmoeurs publiques et particulieres,des idees regnantes,de la situation actuelle des esprits,de tout ce qui m'a frappe dans cet amas bizarre de coutumes folles ou raisonnables,mais toujours changeantes. Je parlerai encore de sa grandeur illimitee,de ses richesses monstrueuses,de son luxe scandaleux... On a dans la capitale des passions que l'on a point ailleurs. La vue des jouissances invite a jouir aussi. Tous les acteurs qui jouent leur role sur ce grand et mobile theatre vous forcent a devenir acteur vous meme.> La preface du Tableau de Paris peint assez exactement ce qu'il est,ce qu'il dessine. Le merite,a la verite,n'est pas mince d'avoir reussi un pareil tour de force. Certes,Paris a inspire de meilleurs livres,comme de plus grands historiens; aucun n'a trace un tableau plus vivant et plus varie d'une epoque de son histoire. Le chef-d'oeuvre de Mercier merite cet eloge(5).>

こうして劇作家としてのΜercierの才能は,皮肉にも演劇の世界ではなくて,自由奔放なルポルタージュの形式で開花することになる.言ってみれば,Tableau de Parisはパリを巨大な劇場に見立てたMercierの壮大なドラマということになろうか.

次にタイトルの<neologie>を<neologisme>との関連で説明しよう.<neologie>は,1759年に初めて文献に現れる語で,「新語使用」か,意味を広げて,ある単語に対する「新義添加」を意味するが,現在は使われない.<neologisme>は1735年に文献に初登場する語で,本来18世紀初頭


(5)Robert Barroux,Dictionnaire des lettres francaises Le 18e siecle,2 vol.,Fayard,1960,t.2e,p.232

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に一部のサロンで表現に新味を持たせようとしたのを笑って言うもので,悪い意味で「新語法」の意味があったが,1800年頃以降は<neologie>に代って「新語使用」「新義添加」または単に「新語」「新義」の意味で使われるようになった.従って<neologie>は現代フランス語なら<neologisme>と言われるべきものだがタイトルに<neologie>とつけたのには理由がある.つまりこの二語は共に18世紀に生まれた新語であって,<neologie>は次の世紀には早くも消え去る運命にあるのだが,18世紀後半にはこれらの語は使い分けられていた.Mercierは文字通りNeologieと題された著作の序文の中でこの二語を峻別している.

<Quand j'intitule cet ouvrage Neologie,qu'on ne l'appelle donc pas Dictionnaire Neologique! Neologie se prend toujours en bonne part,et Neologisme en mauvaise; il y a entre ces deux mots,la meme difference qu'entre religion et fanatisme,philosophie et philosophisme.[...]ainsi je me fais gloire d'etre Neologue et non Neologiste(6).>

<neologie><neologisme>の人を示す派生語として,当時は<neologue><neologiste>があった.現代の辞書では,<neologue>も<neologiste>も,悪い意味で18世紀の「新語法乱用作家」を示すが現在では古語である.しかしMercierはそれらを<neologisme>の関係と対応させようとする.このように18世紀前半は<neologisme>という新語が生まれた時代であり,18世紀後半はその行過ぎを告発するために<neologie>という新語が造られた時代だから,18世紀後半はある意味で新語創造と新語批判の旺盛な時代であると言えよう.そこで,Mercierの仏語史的な重要性を理解するためにも,18世紀後半から大革命までの時期における新語に対する諸作家の態度を,Gohinの総論的な著作(7)を通して見ておこう.

まずRousseau(1712-78)の著名な作品はすべて18世紀の後半に書


(6)L.S.Mercier,Neologie,t.Ier,pp.vi-vii

(7)F.Gohin,Les transformations de la langue francaise(1740-89)1903,400pp.

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かれている.アカデミーの演説の中で使った新語<investigation>の使用を非難してきた論敵に対して,彼は「この語が明晰で語呂もよく類推しやすい」点を挙げてその使用を正当化している.しかし,この明晰さへの気づかいが安易な新語使用を控えさせることによって彼の作品には新語の数は少ない.それでも彼の慎重さのおかげでそれらの新語はうまく作られており,多くは慣用に入りこんだ(8).Βernardin de Saint-Pierre(1737-1814)は自分の作品を書くのに適した絵画的な語彙の貧困を嘆いていたが,彼もまたRousseauのように新語の創造については消極的であった.Diderot(1713-84)は古語法と新語法とを区別しない.彼は多くの語を造ったが,それらがみなRousseauやBernardin de SaintーPierreの新語のようによく造られているとは言いがたい.Voltaire(1694-1778)は一見ピュリストで古典主義的な伝統の擁護者のように見えるが,それは彼の文体が古典的な明晰さを備えているからで,実は,多くの新語を彼は残している.Mercierは,Neologieのなかで,何度かVoltaireを引用しており,彼はそこから幾つかの新語を引出してもいる(9).しかも,彼は自著の冒頭の銘句として,<Notre langue est une gueuse fiere; il faut lui faire l'aumone malgre elle...>というFrederic2世に差向けたVoltaireの有名な章句を選んでいる.彼が新語の分野でVoltaireの権威を借りていることは,そのまま,<neologue>としてのVoltaireの重要性を物語っている.その意味でMercierは何よりもVoltaireの弟子である.他方でこの時期の哲学者達はある程度<neologue>の資格を備えている(10).彼らの敵対者は彼らが言語の頽廃に力を貸していると言って非難するが,彼らの支持者は彼らが語彙を豊かに


(8)たとえば,<croissant,endolorir inactif,materialiser,moderniste,ordurier,routinier>などがRousseauの造語で現代まで残っている.

(9)たとえば,後の用例の45番<impasse>はVoltaireの造った新語だとされている.

(1O)たとえば,Considerations sur les moeurs(1751)のDucrot(1704-72),Histoire philosophique et politique des etablissements et du commerce

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するのに大いに貢献した点を賞賛する.ただ,この時期の哲学者のなかで,<philosophes economique>と自称する次のふたりは<neologue>から程遠い.それは,Tableau economique(1758)のQuesnay(1694-1774)であり,Ami des hommes(1756)のMirabeau侯爵(1715-89)である.彼らの思想は難解で表現の奇妙さがそれに拍車をかけている.大胆な改革者達でさえも彼らが「品の良くない奇妙な語を」たくさん造ったことを嘲笑する.たとえばLinguetは自社の新聞に彼らを告発する次の文を掲載する.「真の経済理論家は大衆みんなにわかりやすいような特徴を備えているべきだ.」実際彼らの新語創造は無造作で辞書を見るより先に新しい語を造ろうとする.これらの哲学者や経済理論家は言語を更新する使命感をもたずに気まぐれから新語を造ったと言えよう.彼らが結局<neologiste>に過ぎなかったのに対して,Mercierを含めた次の四人は真の<neologue>であった.Linguetは新聞を,Beaumarchaisは回想録を,Restifは自叙伝を,そしてMercierは風俗絵巻を編む中で,彼らはそれぞれ言語を更新したい強い意志をもっていた.Linguet(1736ー94)は<amateur>の女性形として<amatrice>を使った際に彼を攻撃してきた哲学者集団に対して,「フランス語は生きた言語であり日々完成され補充されるべきだ」と説いて反駁した.Beaumarchais(1732-99)は.Linguet以上に新語の創造に対して積極的で,彼の作品は無数の新語法で満たされている.Beaumarchaisの語彙にはProschwitzの優れた研究書があって,その点は実証済である(11).しかし,何と言っても言語改革への旺盛な意欲という点で抜きに出ているのはRestifとMercierである.


des Europeens dans les deux Indes(1770)のRaynal(1713-96),De l'esprit(1758),De l'homme(1772)のΗelvetius(1715-71), Logique(1780)のCondillac(1715-80),Elements de litterature(1787)のMarmontel(1723-99),Maximes et Pensees(1795)のChamfort(1741-94),Esquisse d'un tableau des progres de l'esprit humain(執筆1793-4)のCondorcet(1743-94)など.

(11)G.von Proschwitz,Ιntroduction a l'etude du vocabulaire de Beaumarchais,Nizet,1956,387pp.

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Restif(1734-1806)は政治や社会のように言語を改革できると信じていた.Monsieur Nicolas(1794)の第16巻をなすGlossographe ou la langue reformee(1768年以降に書かれた)の中で彼は書いている.「私はこの言語この綴字法でかなり特殊な全く新しい観念を手にする.」実際RestifはこのGlossographeの数ページを独自の表音的な綴字で書き残している.そもそも彼は自分の名前をRestifでなくRetifと書いていた.それでもこの種の試みは慣用の勢いには勝てずかって成功した試しがない.ここで16世紀の綴字改革論者Meigretの同じような試みを考慮されたい(12).結局,Glossographeは未完に終わったが,Restifのこうした言葉への情熱は時として実を結ぶ.たとえば今の<pornographie>(1842)の語源は彼のPornographe(1769)という著作である.現代風俗の中心となっているこの語を最初に書きとめただけでも,レチフは時代を大きく先取りしていた.実際,RestifをVoltaireやΜercierから隔てているのは,性風俗に対する執着の強さである.

MercierもまたRestifのように言語の世界の熱心な改革論者の一人である.Neologie(1801)の意欲的な編纂がそのことを如実に示している.確かに,ΜercierのNeologieに<neologie>として収録されている数千語の中で現代に残った語はほとんどない.そのことは新語普及の難しさをはっきりと示している.にもかかわらず,こうした語彙を豊かにするMercierの努力は決して不毛なものではない.はからずもTableau de Parisで使われた多くの新語が現代まで生き残ることになったからである.<boxeur>の語をフランス語に与え,<journalisme>の語を普及させたのは他ならぬMercierなのである.そんなわけで我々の対象はNeologieではなくTableau de Parisである.多くの『仏々辞典』は前者を18世紀末の基礎文献として挙げているが,むしろ,それらの辞典の編集者がこの時期の<datation>の問題解決のために最大限に利


(12)L.MeigretはTrette de la grammere francoeze(1550)を表音的綴字で著した.

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用せねばならないのは後者である.NeologieはあくまでもMercierの理論的な基盤であって,その言語改革の実践の場として,膨大なTableau de Parisがあるとすれば,我々の探求領域はまさしくそこにしかない.こうして次の語群はTableau de Parisから取出した時代の新語でなおかつ現代に生残った語の一覧である.語末の比較された年号数字は,最後のものを除き,原則として,その単語が文献に初登場したと推定される年を示す<datation>のデータである.最後の年号数字は,その語が現れたTableau de Parisの当該巻の出た年を示す. 略語表は次の通りである.

*=Neologie,2 vol.,1801;

L=Lexis,l vol.,Larousse,1979;

PR=Petit Robert,1985;

GR=Grand Robert,9 vol.,1985;

TP=Tableau de Paris,12 vol.,1782-88

L PR GR TP

1.anti-economique(II,118)

1860 1860 1860 1782

2.ceremonieusement(IX,371)

1845 1845 1825 1788

3.sequestration(IV,222)

1810 1810 1810 1782

4.devisager(III,134)

1800 1803 1803 1782

5.equarrisseur(I,136)

1801 1801 1801 1782

6.equarrissage(I,136)

1801 1801 1801 1782

7.mecanisme(III,55)

1747 1791 1791 1782

8.rivaliser(III,45)

1780 1783 1783 1782

9.vexatoire(III,242)

1783 1783 1783 1782

10.interrogativement(V,310)

1819 1819 1782 1783

11.grippe(ΙV,158)

1814 1782 1782 1782

12.*retrouvaille(IV,49)

1798 1782 1782 1782

13.*descripteur(Xll,227)

1836 1839 1779 1788

14.lilliputien(XII,117)

1801 1801 1779 1788

15.balayage(IV,222)

1783 1782 1776 1782

16.guillochage(II,276)

1792 1782 1765 1782

17.*boxeur(XI,162)

1788 1788 1788 1788

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18.convulsionner(VI,32)

1783 1783 1783 1783

19.begueulerie(Vll,93)

1783 1783 1783 1783

20.bichonnage(I,101)

1782 1782 1782 1782

21.mephitisme(I,146)

1782 1782 1782 1782

22.*diamante(II,196)

1782 1782 1782 1782

23.aerostation(XI,291)

1784 1784 1784 1788

24.mesmerisme(XI,292)

1782 1782 1782 1788

25.lazzarone(III,65)

1781 1781 1782 1782

26.debutant(XI,151)

1767 1767 1782 1788

27.inexpressive(II,231)

1781 1781 1781 1782

28.panification(IV,129)

1781 1781 1781 1782

29.*journalisme(II,116)

1778 1778 1781 1782

30.philanthropique(XI,115)

1780 1780 1780 1788

31.reglementaire(VIII,140)

1780 1780 1780 1783

32.improvisateur(XII,263)

1787 1787 1776 1788

33.cochonnaille(IX,276)

1788 1788 1772 1788

34.insignifiant(II,51)

1778 1767 1771 1782

35.mystificateur(II,182)

1770 1772 1770 1782

36.insubordination(VIII,211)

1770 1770 1770 1783

37.*insaisissable(XII,292)

1750 1770 1770 1788

38.putridite(V,327)

1769 1769 1769 1783

39.mystification(II,182)

1768 1772 1768 1782

40.economiste(II,223)

1767 1767 1767 1782

41.*mystifier(II,182)

1760 1764 1764 1782

42.invraisemblance(IV,170)

1763 1763 1763 1782

43.classification(III,37)

1752 1752 1763 1782

44.inoccupation(I,231)

1771 1771 1761 1782

45.*impasse(II,203)

1761 1761 1761 1782

46.vampire(III,194)

1761 1760 1760 1782

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47.*bureaucratie(IX,13)

1759 1759 1759 1788

48.tacticien(XII,211)

1788 1758 1758 1788

49.calembour(III,62)

1757 1757 1757 1782

50.guillocheur(X,101)

1765 1756 1756 1788

51.irritabilite(VIII,132)

1754 1754 1754 1783

52.progressivement(IV,181)

1760 1760 1753 1782

53.insouciant(VIII,341)

1773 1752 1752 1783

54.insouciance(V,186)

1764 1752 1752 1783

55.nubilite(VIII,50)

1750 1750 1750 1783

56.*patriotisme(II,272)

1750 1750 1750 1782

57.patriotique(III,65)

1750 1750 1750 1782

以上の順位は,大体において,最新の語源データ記載辞書3種に記されている初出年代とTableau de Parisの当該巻の出版年代との隔りを表わしている.その隔りは1番から16番までプラスの方向に小さくなり,17番から22番でなくなるが,23番から57番までマイナスの方向に大きくなる.従って,語源データの上で特に問題となる新語は,1番から16番までのものである.それらについて多少の文脈を示した上文中での意味を特定しよう.

1.<anti-economique>「書生の筆は弁論書,経済か経済批判の本,回想録,声明書を書きまくる.」表の40番に<economiste>の姿が見えるが,これは当時は経済理論に専念する18世紀の作家について言われるもので,<anti-economique>も派生語として使われているが,いずれにしても,この語が文献に初登場するのは辞書によれば1860年になっている.なおMercierは旧体制への不満を暴露するために,<anti>という接頭辞をよく使ったが,それらはフランス語の語彙にほとんど残らなかった(13).

2.<ceremonieusement>「フランスの国王たちは美女にも醜女にも等し


(13) たとえば,<anti-adulateur>(XII,332); <anti-anglican>(I,57); <anti-economiste>(I,236); <anti-mephitique>(XI,57); <anti-moral>(X,86); <anti-ovipare>(V,98); <anti-populaire>(V,319); <anti-venerien>(II,339)など.

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く儀礼的に手に接吻する.ああなんと偉大な思いやり!」「儀礼的に」のの意味でこの語が登場するのは,辞書では1825年になっている.

3.<sequestration>「この誤りが接種を禁止する方向にポーレ氏を導き,彼は天燃痘の流行に備えるべく我々に隔離を命じる.」三種の辞書の年代デー夕は1810年で一致を見ている.

4.<devisager>「女はデカルトが彼女にかような口を聞けば,彼の顔をまじまじと見るだろう.彼女にとっては,すべての男たちの理性よりも,ただ彼女の犬の忠実さのほうがいいのだから.」ここでは,作者は小犬を愛玩する女たちの無知を皮肉っている.「まじまじと見る」の意味でこの語が登場するのは,ロベールの辞書では1803年である.

5-6.<equarrisseur>,<equarrissage>「馬を殺す者を馬殺しと呼び,馬の皮を剥ぎ解体する作業を馬ばらしと呼ぶ.」三種の辞書の年代デー夕は1801年で一致しているが,それはMercierのNeologieの出た年である.ところが,この著作にはこれらの二語は収録されていない.辞書はTableau de Parisにこの語が登場するのを知らないかのようである.

7.<mecanisme>「おまけに彼は貴方に情念のメカニスムについて教え,貴方は12エキュで世界の学問を手にするだろう.」ここでは比喩的用法としての「メカニスム」が問題となる.本来の機械のメカニスムの意味では,すでに1701年にこの語は登場する.そこには作者の香具師への皮肉が感じられる.

8.<rivaliser>「この組織はアカデミーとなり,あの倣慢なアカデミーと競い合ったにちがいない.」自動詞としての<rivaliser>が初めて文献に現れるのは辞書では1783年になっている.つまりここでは原文は<rivaliser avec>の形をとっているのである.Μercierの解説によれば「30人会」<Trente>と題された組織が,アカデミー・フランセーズの「40人会」<Quarante>に対抗して「読書サロン」<lectures>を開いている.

9.<vexatoire>「危険は火を見るより明らかで,民衆には虐待として映っているにもかかわらず,この忌わしい富くじの販売はなくならない,それほど民衆は金が欲しく,社会道徳やら家族の平穏やらはどうでもよいのだ.」<vexatoire>は「人を苦しめる,虐待するもの」の意.三種の辞書の年代データは1783年で一致している.

1Ο.<interrogativement>

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「薬湯売りはひっきりなしに問いつめるように叫ぶ.『さあ冷たいよ,飲みたい者はいないか?』」薬湯<tisane>は植物の有効成分を溶かした水である.LexisとPetit Robertではこの語が初めて登場するのは1819年ということになっている.しかし,最新のGrand Robertでは1782年に改められている.

11.<grippe>「何人かはインフルエンザにかかって死ぬ.パリの人間はこの危険な鼻風邪を気まぐれとかご愛嬌と呼んで馬鹿にするが,その笑った者が三日後には自らインフルエンザにかかってお墓に入ることになる.」Lexisではこの語の初出年代は,1814年になっているが,Robert辞典では1782年になっている.

12.<retrouvaille>「役人の署名が滞りなく済むと,白紙委任所は,迷子のスパニエル犬やおうむ,なくしたマフや杖探しを助けてくれる.」<retrouvaille>は<retrouver>を名詞化した文語で,「再び見つけること」の意味である.この語はMercierのNeologieに収録されている.

13.<descripteur>「その夜私は仲間達に足の先から頭のてっぺんまでキュピス氏の人物描写をしていた.彼が居なかったら到底私は描写家にはなれなかった.」辞書によれば,この語は「描写する人」の意味では1464年に初めて文献に登場するものだが,18世紀の末から19世紀の初頭にかけて「描写の達人」の意味で再登場してくる単語のようである.Lexisは1836年までには稀語となるという言いかたをしているが,Petit Robertでは1839年に再登場するという言いかたになっている.それをGrand Robertは1779年再登場に更新している.この語もMercierのNeologieに収録されている.

14.<lilliputien>「これらの矯小な酒樽はスイス人とドイツ人を微笑させる.彼らは高いアーチ形の囲いの中に巨大な酒樽を入れ,そこは彼らにとっては寺院の形色で,一種の賛美と尊敬の念でそこへ貴方を導く.」一般市民は,小酒樽に入った葡萄酒の買置きを地下の酒蔵に寝かせておく習慣がある.<lilliputien>はSwiftの『ガリバー旅行記』(1726)に出てくる小人国<Lilliput>から来ている.LexisとPetit Robertは1801年初登場になっているが,Grand Robertは,1779年初登場に更新している.

15.<balayage>「ポーレ氏の話に耳を傾ければ,天然痘に対

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して警察令を公布するだけでいいことになる,泥のすくい上げや街路の清掃をやるように.」Lexis1783年,Ρetit Robert1782年,Grand Robert1776年と徐々に語源データを更新している.

16.<guillochage>「彫金と斜子はパリの職人の手を経てヨーロッパのすべての宝石の頂点に立つ.」Lexis1792年,Ρetit Robert1782年,Grand Robert1765年と,ここでも語源データは徐々に更新されている.

以上の16語を含めた22番までの語は,Mercierが初めて文献に書きとめた語で,しかも現代まで生残った語である.Mercierの造語ではないが彼の採用した18世紀後半の新語(1750-88)も含めると表に示した57語になる.これらは一応Mercierの<neologie>とみなされよう.加えて,Mercierの造語の中で時代を越えて残らなかったものは数百に達する.これらは一種の<neologisme>とみなして本稿では無視した.こうして今回の調査は最新のポピュラーな辞書の<datation>の誤りを正すことになった.この種の誤りの大きな可能性については各辞典は序文でことわっている.たとえば,Lexisいわく,<Ces dates n'ont naturellement qu'un approximatif; de nouvelles recherches en reculeront sans doute un grand nombre.>と.Grand Robertでさえも,序文の<datation>の項目で,次のように結論づけている. <Pour conclure,rappelons que ces premieres attestations sont le plus souvent provisoires,et que des depouillements plus precis ou plus exhaustifs pourront les ameliorer.>しかし,このようにことわったからといって,やはり誤りは誤りであって,我々は少しでもそうした誤認を避けるよう努めねはならない.Tresor de la langue francaiseの元になっているコンピュータの基礎データは大体1789年以降の作品群だから,Μaratの政治的パンフレットやRobespierreの演説は入っていても,Mercierの著作は一切入っていない(14).筆者がMercierを今回の調査の対象に


(14) ちなみに,Tresorのデータ中で最古の文献は,死後刊行のものを除けば,E.J.SieyesのQu'est-ce que le Tiers Etat?(1789)である.この時期

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選んだ最大の理由はそこにある.ProustのA la recherche du temps perduがTresοrのデータに入った同時期の全文献の二割近くを占めることになったとき,その資料を個人的なものとして無視できなくなるように,ページ数の膨大な著作は一作家の一作品の調査とあなどれない強みがある.それが時代の風俗を顕著に示すものであればなおさらである.主要なフランス語文献が全部入力されない限り,<datation>は依然として手作業だから,この種の誤認はあとを絶たないように思われる.ただし,今回の調査からも垣間見られるように,Tresorなどの最新の語彙研究の成果がかなり取入れられているGrand Robertの第2版ではこの種の誤りはある程度改められている点を強調して筆を置く.


(1789-1815)の有名作家では,Chamfort,Chateaubriand,Chenier,Condorcet,Constant,Laclos,Senancour,Mme de Staelの主要な著作,及びRestifの一小品は収録されている.

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