革命前後の仏語研究小史


初版が1920年にでて当時大成功をおさめたLe langage populaireの新版(1946年版)によせた序文のなかで,Henri BAUCHΕは大戦を通してパリの民衆語が変化しなかったことに驚いたものだった.

La seconde guerre mondiale n'a pas apporte de changements dans la langue francaise,ni en particulier dans le langage populaire parisien et elle n'y a presque rien ajoute... Ιl n'y a en aucune penetration allemande dans la langue francaise,malgre quatre ans d'occupation,ce qui est assez surprenant...(1)

このことは革命前後の仏語研究にもあてはまる.フランス革命という歴史の決定的な分かれ目のもつ魅力にさそわれてこの時期の言語を調べようとする者は,過度の期待をすぐに裏ぎられるだろう.

L'epoque revolutionnaire,qui a bouleverse la France dans ses institutions et dans son etat social,n'a pas exerce sur la langue autant d'influence qu'on pourrait le croire.(2)

これはCharles BRUNEAUのことばである.またこの時期に異常なまでの情熱をそそいだFerdinand BRUNOTも,多少凝った言い方で,大革命が旧来の言語体系をくずさなかったことを報告している.

A priori il semblerait qu'un mouvement politique qui a tout bouleverse en France eut du ruiner aussi le fragile edifice grammatical qu'une societe polie avait lentement eleve a son usage au cours des siecles precedents. Cette catastrophe n'eut pas lieu. La langue est sortie de la Revolution changee mais non gate.(3)

しかしながら,この時期の言語のなかで革新といえるほどの変化がふたつある.そのひとつは,18世紀後半を通じてフランス語の語粟がめまぐるしく変わったというこ

とである.

La Revolution,aux yeux des linguistes,qui ne considerent que l'orthographe,les formes et la syntax,n'a a peu pres rien change a la langue,elle a en revanche renouvele une grande partie du vocabulaire.(4)

もうひとつは,大革命を境として「国語」の観念が確立されたことである.もちろんそ;れは,この時期にフランス語の統一化が達成されたことを意味するわけではない.統一化が完成するのはまだかなり先の話である.

L'unite nationale a favorise,et recherche tout a la fois,l'unite linguistique de la France revolutionnaire. Mais le detail des faits n'offre pas un tableau aussi simple de l'evolution. La tendance a la disparition des parlers locaux s'accentue; les autorites y contribuent; or,le mouvement est beaucoup plus lent qu'on aurait pu le croire.

それでも,正確に1790年以降この統一化の動きが強まってくることは否めない.

D'instinct les foules sentent que la France,reunie pour la premiere fois en une partie unique,doit avoir une langue unique. L'unite de langage manifeste et scelle l'unite de la notion. Ce sentiment,tres net des 1790(Federation),inspire aux constituants(Talleyrand,Gregoire)une politique de la langue.sic.(6)

こうして,一方で語彙,他方でこの言語の政治学とも言える領域に研究は集まってくる.本稿では,このふたつの方向をもつ革命前後の仏語研究の流れが示される.まだ日本では,この種の研究の全体像は紹介されていないように思われた.

革命前後の語彙研究

すでに同時代にこの種の著作が存在する.1797年に出版されたJean Francois de LΑ ΗARPEのDu fanatisme dans la langue revolutionnaireがそうである.これは同時代のものとしては唯一のまとまった研究書のかたちをとっている.

しかし,実例にもとづいた言及のみられる第26章(7)をのぞけば,あとは政治的な意図で書かれた抽象的な記述で満たされている.実際,それは政治的パンフレットに過ぎない.

Des ecrits au titre philologique ont paru,qui ont l'air d'etudes et ne sont non plus que des pamphlets politiques. Le plus connu de ces ouvrages est

celui de La Harpe,sorti de prison,mais encore apeure et <terrorifie>.sic.(8)

本格的な研究がこの分野ではじまるのは,やはり19世紀末である.

社会学者Paul LAFARGUΕのLa langue francaise avant et apres la Revolutionは,大革命から百年目にあたる1888年に,二度にわたってLa Nouvelle Revue誌に掲載された(9).この論文は次の三部から構成される.

1.言語とその環境 2.大革命前の言語 3.大革命後の言語

1.では彼は,言語が生きものであることを強調しながら,言語と社会との密接な結びつきを熱心に論述している.

Une langue ne peut pas s'isoler de son milieu social,pas plus qu'un vegetal ne peut etre transplante de son milieu meteorologique. Les linguistes d'ordinaire ignorent ou dedaignent l'action du milieu;beaucoup d'entre eux cherchent dans le sanscrit l'origine des mots et meme des fables mythologiques.(10)

今でこそこのような社会言語学的な考え方は知れわたっているが,当時は革新的なものであった.その点でわれわれは,彼の論文の先駆としての価値を認めることができる.

2.ではアカデミー辞典の諸版とVOLTAIREの証言を手がかりに,17,8世紀を通じて作家達の言語観がどのように変化してきたかが語られる.とくに問題となっているのは新語に対する諸作家の態度である.結論として彼は,従来のフランス語を更新しようとする動きがすでに革命前の時期に効を奏しはじめていたことを引きだしている.

3.では1789年から1794にかけて「まるで魔法にかかったかのように」言語が更新されて行く様が具体的な語彙の分析をまじえながら述べられる.実際,ひとりの社会学者にとって言語の更新とは,語彙の革新にほかならない.ただ問題なのは,M.FREYが指摘しているように,LAFARGUEはせっかく多くの実例を挙げていながら,その出典をほとんど明らかにしていないことである.

On y trouve une quantite de neologismes;seulement l'indication des sources y fait presque totalement defaut. Bon nombre de ces mots figurent

dans le lexique de M.Gohin,d'autres ont a peine existe ou ne se rapportent nullement a la vie politique.(11)

彼の論文について「文献学者はそこに何も有用なものを見いだせない」とF.ΒRUNOTが言うとき,それはこの意味においてであろう.

しかし,彼の社会言語学的な考察がこの時期の語彙研究をうながし,体系的な語彙調査へと以後の研究者たちを向かわせた功績は大きい.こうしてLAFARGUEの理論は,F.GOHINの博士論文へと受けつがれてゆく.

GOHINの労作に入るまえに,われわれは,今のBRUNOTの記念碑的な『フランス語史』の前身である,L.PETIT DE JULLEVILLΕ監修による『仏語・仏文学史』に少し触れておきたい.最近リプリントされたこの全8巻からなる本の1899年に出た第7巻のなかに,「革命と帝政」と題されたF.BRUNOTの論文が収められている(12).

この論文の革命期(1789-99年)を取りあつかった部分は,外面史と内面史とに大別されているが,その後者が語彙研究にささげられている.そこでは,とくに民衆語の動きにスポットがあてられ,現在生きのこっているこの時期に造られた新語と消失したものとがきちんと分類されている.しかし,本質的には,ここにはLAFARGUE以来の何の進展の跡も見られない.LAFARGUEが社会学者として試みた社会言語学的な考察を,BRUNOTは言語学者として行なったというだけである.やはり,BRUNOTがその本領を発揮するためには,われわれは『フランス語史』の刊行を待たねばならない.そこでは,この全部で70頁足らずの論文が2000頁を越す大冊にふくれ上がっているのを見るだろう(13).

BRUN0Tの教え子であったFerdinand GOHINの調査論文Les transformations de la langue francaise pendant la deuxieme moitie du XVIII siecleは,1903年に出版された.これはこの領域における最初の博士論文であり,現在でも基礎文献のひとつである(14).

厳密に言えば,この著作は大革命までの語彙しか扱っていないのだが,1740年から1789年までという調査範囲は,やむを得ずしばしば越えられている(15).しかし,そんなことが問題にならないほどGOHINのものは理論的考察とその実践の両面においてすぐれている.

研究対象となっているのは,この時期に活躍した48人の文人・政治家・哲学者の著作である.したがって調査されるのはこの種の文語・日常語に限られる.専門用語(たとえば医学や化学の語彙)にも一章が設けられているが,もちろんそれらは常用語の範囲内で,あるいは比喩的な意味で使われる場合だけが取りあつかわれている.

諸科学における純粋に専門的な語を度外視した理由を,彼は次のように述べている.

On peut tout d'abord se demander pourquoi nous n'avons pas consacre un chapitre special au neologisme purement scientifique:en effet,nous ne parlerons,que pour memoire,des tentatives de Linne et de Lavoisier;l'histoire et la constitution des nomenclatures,interessantes en elles-memes,ne rentraient pas dans notre sujet;nous n'avions qu'a rechercher quelles consequences avaient eues les transformations de la langue scientifique et le developpement meme de la science sur les transformations de la langue litteraire et usuelle.(16)

この一種の思いきりのよさが彼の研究をよくまとまったものにしている.しかし,それは他方でこの種の純粋な専門用語の革新に研究の余地を残すことになった(17).

また,彼が混乱をまねくだけだと考えてその調査を慎重に思いとどまった革命期にも,以後の研究者たちの目は向けられるだろう.

Theodor RANFTの博士論文Der Einfluss der Franzosischen Revolution auf den Wortschatz der Franzosischen Spracheは19Ο8年に出版された.しかし,この『フランス革命がフランス語の語彙に及ぼした影響』は,その翌年には,F.BALDENSPERGERによって厳しく批判された(18).

ΒALDENSPERGERは,その書評のなかで,革命期における総括的な語彙調査の必要性を認め,実際GOHINの博士論文に続こうとしたRANFTの用意周到さ,つまり資料がよくそろっている点を評価しながらも,いたる所に見られるその調査の不徹底をまず指摘している.

Une foule de mots manquent a la liste:activifier,affameurs,centralisation... D'autre part,on ne voit pas bien en vertu de quel criterium M.Ranft exclut de ses releves les expressions verbales:et puisque aborder la question le peuple est debout,ont semble avoir recu de la Revolution leur estampille et leur droit de cite dans la langue,on peut s'etonner qu'il n'en soit pas

fait etat ici.(19)sic.

もうひとつの非難はもっと深刻なものである.

Une objection plus grave,a mon sens,c'est que M.Ranft... ne distingue pas entre les neologismes vraiment adopte par l'usage et ceus que la hate ou l'humeur du moment a fait inventer a orateurs et journalistes. Ce n'est qu'avec ce controle et sous cette reserve qu'on peut parler veritablement d'influence sur le vocabulaire...(20)sic.

つまりもっとわかりやすく言えば,大革命が語彙に及ぼした影響を云々する以上,この時期に新語・新語義としてフランス語のなかに入りこんでそのまま定着した語群とこの時期以後は消失した語群とをはっきりと区別せねばならない,と彼は言っているのである. このBALDENSPERGERの鋭い指摘によって,RANFTの博士論文はほとんどその生命を断たれたわけであるが,それは裏返して言えば,なお,この時期の総括的な語彙調査に研究の余地が残されたことにもなる.しかし,この点に目をつけたMax FREYの,真にGOHINの後に続いていると言える博士論文が上梓されるのは,このTh.RANFTの著作の刊行から17年も後のことである.

Max FREYの博士論文Les transformations du vocabulaire francais a l'epoque de la RevolutionがPUF(フランス大学出版局)から出版されたのは1925年のことである.この著作は,先のRANFTの論文に代ろうとしてなされたものであるから,ここでは当然のことながらRANFTにおける難点はすべて克服されている.

とりわけその分類法において両者は大きく異なっている.BRUNOTが先述の論文のなかで用いた分類,つまり一方で議会・行政の言語,他方で民衆語・日常語と分けてゆくやり方をそのまま踏襲したRANFTに対して,FREYは政治的語彙研究の立場から言語活動を細かく分類している.語の列挙に終始していた前者の著作に比ベFREYのものがはるかに分析的説明的であるという印象は否めない.

Ce livre(par M.FREY),tres methodique et tres consciencieux,resume ce que l'on sait aujourd'hui sur le vocabulaire. Les mots y sont classes d'apres les matieres auxquelles ils se rapportent,ce qui perment au lecteur de se rendre compte de la facon dont les idees nouvelles ont trouve leur expression.(21)

ところで,われわれはすでにBALDENSPERGERによるRANFT批判について言及したが,FREYは,これを参考にしながら,自ら次の5点についてより突っ込んだRANFT批判をしている.

1.新語と新語義の単なる統計に終わっていること.

2.新語の歴史的な意味の説明がほとんど欠けていること.

3.政治的事件と直接結びつくものだけしかとくに書きとどめていないこと.

4.総裁政府期(1795-99)の調査が不十分であること.

5.彼の参照した辞典類が十分に吟味されていないこと(22).

これを見れば,逆にFREYによって新たにもたらされたものが何であるかは,一目瞭然であろう.

F.ΒRUNOTの記念碑的な『フランス語史』の「革命と帝政」と題された第9巻の第一部と第二部は10年の間隔を置いて1927年と1937年に刊行された.1938年には,F.GOHINの雑誌論文La langue francaise sous la Revolutionが出ているが,これはその第9巻2冊の要約,あるいはBRUNOTに対する讃辞の寄せ集めに過ぎない(23).もっとも要約とは言っても,この論文は,その中で彼が重視した革命期における仏語教育と慣用というテーマを扱っているだけであるが.

1927年に出たその第一部については後述するので,今はその第二部に目を向ける必要がある.Les evenements,les institutions et la langueと題された『フランス語史』第9巻第二部は,先に述べたLAFARGUE-GOHIN-RANFT-FREYの語彙研究の流れに続くものである.この第二部の要約はGOHINやSEGUINにゆずるとして,われわれは,ここでBRUNOTがFREYまでの研究をどのように更新しているかを調べねばならない.

FREYの調査がかなり徹底したものなので,彼の博士論文は基本的にはBRUNOTによって乗りこえられていない.しかし,この『思考と言語』の著者は,語と同時に事物の歴史をも究明し,常にその関係に気を配ろうとする真の社会言語学者でもある.

Pour celui qui veut suivre a la fois l'histoire des mots et l'histoire des choses,aucun mouvement dans toute la vie de notre langue ne peut se comparer a ce bouleversement de quelques annees.(24)

こうしてRANFTによって列挙されFREYによって説明された革命期の新語は,ΒRUNOTによってはじめて社会現象というひとつの特殊な文脈のなかに組みいれられるわけである.とりわけこの作業によってはじめてもたらされたものは,革命期に特有な語の象徴化mystiqueの問題であろう.

Le remuement formidable des passions a souleve les coeurs,et les mots s'en sont ressentis. Ρlusieurs ont ete emportes par une sorte de mystique,mystique de haine on mystique d'amour,et pris une valeur affective qu'ils n'avaient jamais eue... C'est la un phenomene etrange,quand on reflechit que la Revolution a ete en grande partie le resultat du rationalisme philosophique.(25)

La mystique des motsと題されたその第一篇では,実際,revolutionとかnationとかpatrieとかloiとかConstitutionとか言った,新語ではないが,この時期に特別な感情的意味を背負わされたあまりにも時代と密接した諸語が取りあつかわれている.これらは別に新語義をもったわけではないので,RANFTやFREYによってまったく問題にされなかったのである.

他の篇でも,この種の体制の変化によって概念が変わった語は無数に挙げられている.そのため取り扱われた語の総数において,このΒRUNOTのものは,RANFTやFREYのものを圧倒的にしのいでいる(26).

いずれにしても,このBRUNOTの著作によって,革命期の総体的な語彙研究はほとんど終わりを告げたと言うことができる.あと,この領域で残されている作業があるとすれば,それは,ジャコバン党員ないしはパンフレット作者のひとりひとりの体系的な語彙調査であろう.その種の研究も,1960年代の後半頃からSAINT-JUSTやROBESPIERRΕの語彙を皮切りにしてなされはじめている.しかし,1979年現在まだまとまった研究書は刊行されていない.ただ,GOHINのものと同じようにとくに革命期を扱っているわけではないが,作家の体系的な語彙調査から18世紀後半におけるフランス語の語彙の変貌を論じたPROSCHWITZの研究だけが,ΒRUNOT以後の語彙研究として言及されるに値いするように思われる.

Gunnar von PROSCHWITZの博士論文Introduction a l'etude du vocabulaire de Βeaumarchaisは,1956年に刊行された.

GOΗINにあっては研究対象は50人弱もの作家・政治家・哲学者であったが,このスゥェーデン人は,BEAUMARCHAISの語彙調査を軸としてこの時期のフランス語研究を行なった.この時期の諸作家の総体的な調査がGOHIN,FREYによってすでになされた以上,そしてそれらの調査がBRUNOTの『フランス語史』によって社会という文脈のなかに位置づけられた以上,実際,PROSCHWITZに残されていたのは,-作家の体系的な語彙調査だけであった.

しかし,彼においては,BEAUMARCHAISはひとつの媒介に過ぎず,問題となるのは,やはりLafargue以来われわれに親しいものとなった社会の反映としての一個人の語彙である.

L'objet de cet ouvrage est d'etudier ce que le vocabulaire acquiert,a l'epoque de Beaumarchais,dans le domaine de la litterature,de la politique et de la mode. C'est avant tout comme reflet de la societe contemporaine que la langue de Beaumarchais nous occupe ici. Nous voulons montrer l'apport de l'epoque plutot que de l'homme,au lexique francais.(27)

この考え方がもっとも顕著にあらわれているのは彼の用例の取りあつかい方である.

まず彼は,文学・政治・流行というもっとも社会の動きに敏感な領域において18世紀後半に誕生した新語をBEAUMARCHAISの作品のなかから引きだす.そうしておいて次に,その一語一語について,BEAUMARCHAISの同時代人が使っている例を集める.最後に,辞書や文法書のなかでそれらの語が説明されている例をみつけて,それをもとに彼はその語をひとつひとつ社会的に説明してゆく.彼以前の語彙研究には,このような調査方法はまったく見られなかった.

他方で,彼の著作の革新はと言えば,それは彼が語源学的アプローチを試みることによって,DAUZATやWARTBURGが行なった語の年代決定を少なからず更新することになった点であろう.これも結局は,彼が対象を一作家の語彙,それも文学・政治・流行という三つの領域の語彙だけに絞ったため得られた成果である.はじめから諸作家の総体的な語彙調査を企てたGOHIN他の研究では,このような好都合な結果は望むべくもなかった.

さて,われわれは,これまでLAHARPEからPROSCHWITZにいたる革命前後の語彙研究の流れをひととおり見てきた.まず,これら全般を通じて言えることは,この領域でもやはり年毎に記述が説明的になってゆく傾向がみられるということである.

RANFTにあっては語のリストないしは統計にすぎなかったものが,PROSCHWITZにあっては,常にかなり広い文脈の中で引用され解釈され批評される.それで

いて,逆に扱える語の数が少なくなるのかと思うとそうでもない.RANFT501語に対して,PROSCHWITZ841語である.

またわれわれは,彼らの著作を通して,一種の暗黙のチームプレイが,この分野の研究を実り多いものにしていると言うことができる.

第一,この限られた時期の語彙調査にこれだけ多くの博士論文ないしは博士論文級の著作が集まっていることを考えても,思いのほかこの分野が充実していることは理解できるだろう.

実際,彼らには,時代を越えて面識の有無にもかかわらず,共同研究を行なっているという意識が強かったように思われる.それは,たとえば,彼らの次のようなことばから窺い知ることができる.

On pourra la considerer comme un complement de l'ouvrage de M.Gohin et un supplement de la these de M.Ranft...(M.FREY).

L'auteur(=FREY)me pardonnera si j'ajoute qu'il reste encore a faire...(F.BRUNOT).

Un ouvrage de ce genre l'oeuvre collective de celui qui l'entreprend et de ceux qui l'ont precede...(G.vonPROSCHWITZ).

しかし,1956年にPROSCHWITZの博士論文が刊行されて以来,もはや一個人のまとまった著述という形では,この時期の諸作家の総体的な語彙研究は行なわれにくくなってきていることは否めない.真の共同研究時代に突入したからである.

PROSCHWITZが提起した語の年代決定法も,もはや集団の力を借りてしか実現されなくなった.現在なお刊行中のBernard QUEMADA監修による一連のΜateriaux pour l'histoire du vocabulaire francaisはこの方法によって,年々,従来の語源辞典による年代決定を更新している.

また他方で,Paul IMBSの監修のもとに1971年から刊行されはじめたTresor de la langue francaiseは,正確に大革命以後の文学的著作の,文脈を十分に取り入れたほぼ完璧な用例辞典として,当然なされねばならなかった革命期のいくらかの語彙調査を不要にするだろう.

そんなわけで,今後もし,革命前後の語彙研究が新たに進展をみせる可能性があるとすれば,それはやはり,一作家の特殊な語彙の調査のなかにあるように思われる.

ところで,筆者は先に,革命前後のフランス語研究を語彙研究と言語の政治学とに分けた.今や,後者の研究状況を知るために,われわれは,もう一度,F.BRUNOTの記念碑的な『フランス語史』に立ち戻らねばならない.

言語の政治学

Le francais langue nationaleと題されたその第9巻・第一部は先述のように1927年に刊行された.その前年にLucien FEBVRΕの論文Langue et nationalite en France au 18e siecleが出ているが,とくにこの革命・帝政期における国語としてのフランス語の普及というテーマを持ちこんだのはBRUNOTがはじめてであろう.これはあくまでもフランス国内での問題であって,ヨーロッパでのその普遍性とは別問題である.

そこには,文学的・語学的著作ばかりでなく,広く政治・経済・社会・宗教・教育・歴史の諸方面から集められた無数の文献が駆使されており,LAFARGUEによって提起された社会言語学的なアプローチが,そこでは徹底的に試みられている.

にもかかわらず,この第9巻・第一部は,BRUNOTの『フランス語史』のなかでもっともその資料不足が目立つ部分であると言うことができる.

事実,Jean-Pierre SEGUINは,La langue francaise au XVIIIe siecleのなかで「革命期のあらゆる動きがフランス語の統一化に貢献している」というBRUNOTの結論に対して,情報不足が彼に文献にそくした現実的な見方をとらせなかったことを批判している(28).

とくに,この第一部のLes Evenements et la langueと題された第二章は,まったくの空白部である.ここではBRUNOTは,あまりに広大な調査(文献探索)を強いられるこの領域に対してなす術を知らないかのように,めずらしくさじを投げている.

A distance et avec nos idees d'aujourd'hui,nous sommes enclins a nous representer les choses d'une facon simpliste et fausse... Mais la realite a ete beaucoup plus complexe,et ce n'est pas avant longtemps qu'on pourra juger sur dossiers complets du role qu'ont eu les idiomes dans la bataille qui s'est alors livree,il faudrait a ce sujet une large enquete dans les Bibliotheques et les Archives departementales.(29)

しかし,こんな風に言ったところで,BRUNOTのものがこの方面でもひとつの欠くべからざる基礎文献であることには変わりがない.ただ,この章がいつか補われるのをわれわれは待つだけである.

しかしながら,このBRUNOTの著作は,以後50年近くも忘れられることになる.

Rene BALIBARとDominique LAPORTEの共著になるLe francais nationalがΗachette社から出版されるのは1974年のことである.

副題としてPolitique et pratique de la langue nationale sous la Revolutionをもつこの著作は,完全にBRUNOTの『フランス語史』第9巻第一部をその基盤としているが,あきらかにこれを更新ないしは批判しようとして企てられている.

Etienne BALIBARとPierre MARCHEREYは,この著作に寄せた長い序文のなかで,BRUNOTのものとこの現在のものとの関係を考察することに一章を設けて,次のように語っている.

Il faudrait ici poser une double question:

――premierement,pourquoi la problematique de Brunot,a-t-elle rendu possible et necessaire le formidable developpement de fait des connaissances reelles rassemblees dans l'Histoire de la Langue francaise!

――pourquoi l'entreprise de Brunot est-elle restee sans veritables continuateurs(a notre connaissance),et pourquoi,jusqu'a une recente,est-elle restee,dans les faits,ignoree de la plupart des linguistes actuels!(30)sic.

最初の問題提起については,結局,BRUNOTのものが知識の集大成に終わっていて,そこに事実の解釈と選別とが欠けていることが批判されている.本文全体を通してそれが証明される.

そこにはBRUNOTに対する言及が無数に見られるが,彼が『フランス語史』のなかで,引用している部分も,直接原典にあたらずに自由に孫引きされている.つまり,それはBRUNOTの著作がそれ自体ひとつのコーパスでしかないことを如実に示している.

二番目の問題については,やはり資料の問題が,BRUNOTの後に続くことを妨げているとわれわれは考えることができる.先述のように今だに『フランス語史』第9巻第一部の大きな空白は埋められていない.

実際R.BALIBARとD.LAPORTEの著作でも,この資料問題に一章が設けられており,そのなかで彼女らは,次のように現状を嘆いている.

Dans l'etat actuel des choses,il n'est pas facile(facon de dire qu'il est impossible)de consulter les textes des proces-verbaux,petitions,lettres,rapports etc,produits dans les appareils revolutionnaires. Il n'existe pas d'ouvrage

-31-

general(Brunot mis a part),qui en decrirait les formes d'existence,les types de contenus,qui en fournirait,non <le corpus> (la somme de ces innombrables pieces heteroclites n'est pas concevable),mais <un corpus>,des extraits(provisoirement)representatifs.sic.(31)

この著作がもたらしたもの,それは要するに,何の進展もないまま50年近くも放置されていたBRUNOTの著作にスポットをあてその未解決の資料問題に研究者たちの注意を向けようとしたことにほかならない.

ともかくこの著作の刊行を境として再び,革命期における言語の政治学というテーマが問題視されはじめたことは確かである.

言語学者Michel de CERTEAU他による同名の著作Une politique de la langueがGallimard社から出版されたのはその翌年である1975年のことである(32).

筆者は先に,現代は真の共同研究時代に突入したことを述べたが,この著作も,先のものと同じように共著になるものである.

La Revolution et les patoisを副題としてもつこの作品は,1790年から1791年にかけて極左の政治家であるAbbe Henri GREGOIREがフランス国内の諸地方にさし向けた方言についての43のアンケートに対する各地の回答に考察を加えたものである.全部で8章のうち,最初の一章はDominique JULIAによる回答の社会学的な分析を含み,最後の一章は,Jacques REVELによるその民族学的な諸要素の考察にあてられている.そして,残りの6章でM.deCERTEAUがその言語学的な分析を試みている.

これらの回答については,すでにそのほとんどが,A.GAZΙΕRによって1880年に印刷されていた(33).彼らはなお未刊だった4通の回答を先の著作の付録として加えている.それでもまだ11通の回答がΒibliotheque nationaleとBibliotheque de la Societe de Port-Royalとに手書きのまま残されている.

BRUNOTが『フランス語史』第9巻第一部のなかでほとんど手をつけなかったこれらの回答にスポットをあて共同研究によって様々な角度からそれらを見つめなおそうとした彼らの発想はよかった.

しかし,彼らの著作は,翌年には,フランス革命研究の大御所であるJacques GODECHOTによって徹底的にたたかれることになる(34).

GODECHOTは,その書評のなかで,この本の内容をきちんと紹介したあとで,だいたい次の諸点について手厳しくこれを批判している.

-32-

1.全部で144頁にもなる付録の部分に注釈がほとんど施されていないこと.

2.JULIAが担当した一章については,彼が革命史にまったく通じていないために多くの必要文献を見のがしていることによって記述の不完全さが目立つこと.おまけにここでは皮肉にも,彼自身ならこのテーマをこのように描くだろうといったGODECHOTの興味ぶかい見取り図が一頁を埋めている.

3.CERTΕΑUが担当した章については,内容以前の問題として文体が極端に難解であること.歴史的な書きものは広く大衆に理解されるように書かれねば無意味だというGODECHOTの強い姿勢がそこにはうかがえる.

4.REVELが担当した最後の章については,GREGOIRΕのアンケートに対する各地の代表者の回答がどの程度現実を描いているかを吟味せずに,ただそのいくつかを彼は要約するだけに終わっていること.

こうして,GODECHOTは,次のような決定的なことばでこの書評を結んでいる. Apres avoir referme cet ouvrage,on se dit qu'un livre sur la politique linguistique de la Revolution reste a ecrire. Souhaitons qu'il soit redige comme l'ouvrage--qui reste fondamental--de Ferdinand BRUNOT,par un homme qui connaisse a la fois l'histoire de la langue et l'histoire de la Revolution,et qu'il soit ecrit dans un style accessible a tous.(35)

1977年には,あきらかにこの著作の不備を一部補おうとして,またも同名の論文があらわれている.同じGallimard社の刊行物である,Diogene誌に掲載されたJean-Yves LARTICHAUΧのPolitique linguistique de la Revolution francaiseがそれである(36).

ここでは,GREGOIREのアンケートへの回答よりもむしろ,彼のその43の質問書の方に目が向けられている.全体の半分を占める頁がその各々の質問の分析にあてられている.

しかしそれをのぞけばあとは,同じ出版社から出ている先のCERTEAUらの著作の内容紹介に過ぎない.したがって註もそこにはまったく見られない.

結局,この言語の政治学という大きなテーマは見直されてからまだ日が浅いので,先の語彙研究ほどの成果はあげていないように思われる.それに真に共同研究の時代にはいったにもかかわらず,各著作間のチームワークは

-33-

かえって以前よりも悪くなった感さえする.

たとえば,Slatkineから複刻されていて簡単に手に入る先のA.GAZIER編のLettres a GREGOIRE sur les patois de Franceのなかに付録として収録されている,25頁にも及ぶGREGOIREの国民公会への報告書が,そのまま注釈も施されずに先のR.BALΙΒARらの著作に再録され,その全部がまた翌年にCERTEAUらの著作のなかに注なしで組み入れられているのを見ても,それは強く感じられるにちがいない(37).

いずれにしても,この現状が打開されるためには,まず先の資料問題が解決されなければならない.ΒRUNOTが『フランス語史』第9巻第一部のなかで完全にさじを投げた部分の「選ばれたコーパス」がまずつくられなければならない.

その上でわれわれは,この言語の政治学という魅力的なテーマのために待つだろう.「仏語史と革命史の両方に通じた者による」わかりやすい書きものの出現を.

これで一応,このささやかな研究史の幕を降ろすことにする.最後に一言,結語としてつけ加えるとすれば,それは,語彙研究にしても言語の政治学の探究にしても,すでにF.BRUNOTの著作が証明しているように,この時期のフランス語研究は,隣接諸科学の総合的な成果の認識なしには成りたたない要素を多分にもっているということである.

1979年夏,パリにて

(1)Henri BAUCHE,Le langage populaire.Nouv.ed.,Payot,1946,p.7.

(2)Dictionnaire des lettres francaise.XVIIIe siecle.,A.Fayard,1960,t.II,p.442.

(3)Ferdinand BRUNOT,Histoire de la langue francaise des origines a nos jours,t.ΙX,Deuxieme partie,Armand Colin,1967,p.V.

(4)Ibid.,p.ΙX.

(5)Jean-Pierre SEGUIN,La langue franraise au XVIIIe siecle,Bordas,1972,p.227.

(6)F.BRUNOT et Ch.BRUNEAU,Precis de grammaire historique de la langue francaise,Masson et Cie,1969,p.27.

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(7)Cf.Jean Francois de LA HARPE,Du fanatisme dans la langue revolutionnaire,Paris,1797,Chap.XXVI,pp.133-138.この章,とくにその長い脚註のなかで,ジャコバン党員の語彙の分析がなされている.

(8)F.BRUNOT,op.cit.,p.VI.

(9)3月15日号と4月1日号.なおこの論文は,1894年にL'Ere Nouvelle誌にも収録されている.同誌の1月号と2月号.

(10)Paul LAFARGUE,La langue francaise avant et apres la Revolution,Dans:Critiques Litteraire,1936,p.37.このテキストはL'Εre Nouvelle誌掲載分の再録である.

(11)Max FREY,Les transformation du vocabulaire francais a l'epoque de la Revolution(1789-1800),PUF,1925,p.2.

(12)L.PETIT DE JULLEVILLE,Histoire de la langue et de la litterature francaise des origines a 1900,8vol.,Armand Colin,1896-99.(Kraus Reprint,1975)/t.VΙΙ,1899,pp.795-864,chap.XVI,La langue francaise par F.ΒRUNOT.Iere Partie.La Revolution et l'Empire(1789-1815).

(13)Ferdinand BRUNOT,Histoire de la langue francaise des origine a nos jours,A.Colin,t.IX,Iere partie,1927,2eme partie,1937,t.X,Ιere partie,1939,2eme partie,1943.なお,第11巻の2冊もそれぞれ革命期と帝政期を取りあつかっているが,フランスの外でのフランス語というそのテーマは,この初期の論文には含まれていない.これらも含めば3000頁近くになるだろう.とにかく,この時期は,BRUNOTの専門である17世紀を除けば,彼が『フランス語史』のなかでもっとも力をそそいだ領域である. (14)ただし,1877年に出たArsene DARMESTETERの博士論文De la creation actuelle des mots nouveaux dans la langue francaiseは部分的にこの時期の新語についての考察を含んでいる.

(15)この研究範囲の決定はアカデミー辞典の第3版にもとづいている.1798年に出版された第5版については,それは1789年にはほとんど完成していたことに注意しよう.cf.F.GOHIN,op.cit.p.7.(Slatkine Reprints,1970).

(16)Ibid.

(17)直接フランス語には無関係なLINNEのものはともかく,LAVOISIΕRの革新とは次のようなものである.1787--LAVOISIER fait adopter la nomenclature chimique,dont l'idee avait ete proposee par lui,et par GUYTON DE MORVEAU. C'est le premier essai dans l'histoire des langues d'une nomenclature scientifique creee systematiquement et de toutes pieces.(F.BRUNOT et Ch.BRUNEAU,op.cit.,p.26.)

(18)Cf.Revue de philologie francaise et provencale,t.XXIII,1909,p.148-9.

(19)Ibid.

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(20)Ibid.,p.149.

(21)F.BRUNOΤ,op.cit.,t.IX,Iere partie,p.IX.

(22)Max FREY,op.cit.,p.2-3.

(23)La Revue historique,tome 182,1938,pp.104-114: La langue francaise sous la Revolution par F.GOΗIN.

(24)F.ΒRUNOT,op.cit.,t.9,ΙIeme partie.p.X.

(25)Ibid.,cf.pp.617-662.Livre Ier. La mystique des Mots.

(26)ちなみに,この総数を比較してみるとRANFT501語,FREY1204語に対し,ΒRUNOTのものは4910語を挙げており,まさにちよっとした辞典なみである.

(27)G.von PROSCHWITZ,Introduction a l'etude du vocabulaire de Βeaumarchais,Nizet,1956,p.Vll.

(28)Cf.J.-P.SEGUIN,op.cit.,pp.228-9.

(29)F.BRUNOT,op.cit.,t.ΙX,Iere partie,p.15.

(30)Renee BALIBAR et Dominique LAPORTE,Le francais national,Hachette,1974,pp.18-19.

(31)Ibid.,pp.164-5.

(32)同じ年にPayotから刊行されたLouis-Jean CALVETの博士論文Linguistique et colonialismeでも部分的にこのテーマが扱われている.同書,161-171頁を参照.

(33)Cf.A.GAZIER,Lettres a Gregoire sur les patois de France 1790-1794,Slatkine Reprints,1969.

(34)Cf.Jacques GODECHOT,Compte rendu,Annales historiques de la Revolution francaise,no.48.avri1-juin 1976,pp.307-9.

(35)Ibid.,p.309.

(36)Cf.Jean-Yves LARTICHAUX,Ρolitique linguistique de la Revolution francaise,Diogene,no.97,Gallimard,1977,pp.77-96.

(37)Cf.,A.GAZIER,op.cit.,pp.290-314;R.BALIBAR etc.,op.cit.,pp.198-215; M.de CERTEAU etc.,op.cit.,pp.300-317.

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