漱石からプルースト


 漱石のウィットにくらべて、プルーストのエスプリはまだまだ日本の読者になじみがうすいのではないだろうか。『失われた時を求めて』には依然として難解な哲学書のイメージが貼りついているように思われる。そこで二人のユーモラスな文をつきあわせることによって、プルーストの楽しい読書の足がかりとしたい。『失われた時を求めて』からの引用は井上究一郎氏の流麗な邦訳による。漱石の例文については出典の指示をおこなう(ただし新かな遣いに直した)。

 ことばのユーモアの中で誰もが安っぽいと思うのは洒落である。一口に洒落といっても、「顔よりことばのほうが達者」(『それから』)といったシレプシスから、「日の短いうえ」に「気が短い」(『明暗』)のような異義復用法まで、さまざまだ。「耳も八丁、目も八丁」(『吾輩は猫である』)のようなパロディーから、「勇ましいような、いたましいような」(『行人』)といった類音重語法まで含まれる。

 漱石もプルーストも洒落をばかにしていない。それを活かすも殺すも文脈次第だということをよく承知しているからである。こうして、プルーストの小説には洒落のひきたつ文脈づくりの妙がある。「ヴェルデュラン氏はといえば、そんなつまらないことに笑いだすのはわずらわしいと思って、パイプから一ふき吐きだすだけにとどめた。」「一ふき」が掛詞になっている。「『さあ、オリヤーヌ、乗りなさい』と公爵がいった、彼自身、待っている馬たちの一頭になってしまったかのように。」「乗りなさい」が背中に乗りなさいといっているようにもとれる。

 ユーモアは皮肉のかたちをとることが多い。「『おまえか、健康診断をしてもらうのは』と[医者は]いった。この語勢には、馬に対しても、犬に対しても、ぜひ腹の中でいうべきほどの敬意がこもっていた。」(『坑夫』)卑下と反発を同時に示す反語がおもしろい。「父の話し方は、笑うだけ笑えば、あとには何も残らないような気がした。そのうえ、客は笑う術をどこかで練習してきたように、うまく笑った。」(『行人』)生の皮肉をすばやく珍味のユーモアに調理する腕において、プルーストは漱石におとらない。たとえば、チップを期待できない客の前で立ったまま動こうとしないドアボーイは「めずらしい種類の灌木」にされ、カンブルメール氏の鼻は曲言法を通して間接的に揶揄される。「その鼻はみっともなくはなかった、むしろその大きさのために、りっぱすぎ、たくましすぎ、いばりすぎていた。」皮肉は遠回しで微妙なほど味わいがある。

 逆説のとぼけた味も捨てがたい。「三四郎は日記をつけだした。書くことも何もない。女がいなければ書くことがたくさんあるように思われた。すると女はへやを出ていった。三四郎はますます日記が書けなくなった。」(『三四郎』)プルーストも負けていない。「歴史家は安息感を味わっていた、というのは、不眠症のことを忘れていたからであった。しかしにわかに六日も眠っていないことを思いだした、すると重い疲労が両脚を襲い、肩ががっくりと落ちた。」

 二人とも遊びの精神は旺盛なので、レトリックの先行する用例には事欠かない。「土なべの底は、やがて勘定を払って、ついでに下女にからかって、二階を買いきったような大きな声を出して、そうして出ていった。」(『野分』)「土なべの底」は土なべの底のように赤い顔をした男を意味する隠喩である。庭師の娘は、「包囲陣からとびだすように出撃に移り、通の角に達した、そして百度も死線を越えたのちに、私たちのところへ、軍隊の報告を水差にはいったココ水とともにもたらした。」問題となっているのは戦闘ではなく、庭師の言いつけで飲水をもってくる途中に軍隊の行進の様子をうかがう娘のユーモラスな行動である。どたばた喜劇調だがコミカルな演出のうまさには舌を巻く。

 エスプリ的な攻撃性の感じられない冗談もある。漱石いわく、「人間にせよ、動物にせよ、おのれを知るのは生涯の大事である。」プルーストいわく、「コンブレーでは動物も人間も含めてみんなのことがよく知られていた。」動物の擬人化は罪のないユーモアの源泉である。

 代換法や交錯配語法といって、語句の配置をすこし変えるだけで文に彩をあたえる手段もある。「ヘンリーは哲学のような小説を書き、ウィリアムは小説のような哲学を書く。」(「思い出す事など」)言及されているのは、兄が高名な哲学者で、弟が有名な小脱家の、ジェームズ兄弟である。プルーストの皮肉はもっと痛烈である。「政界では大財界人として財界では大政治家として通っている名士。」

 最後に数字の共通か類似を利用したプルーストの愉快な対照法の例を示そう。「三千フランのルビーを、これはほんのつまらないものですが、といってコタール医師に贈る代りに、ヴェルデュラン氏は、三百フランの模造宝石を買い、コタールには、こんなにみごとなのはそうざらにはないという意味をもらした。」また、「レオニー叔母がユーラリに千フラン札を四枚やるのを見たとも[フランソワーズは]いうのだが、五十フラン札一枚を四つに折ってやったというのでさえ私にはありえないことのような気がする。」平行性と対立性の共存がこの種のレトリックの成功の鍵である。

 広い文脈を抜きにして笑いの要素だけを集めても無意味かもしれない。真のユーモアはシリアスな状況の中で花開くものだから。『失われた時を求めて』の読書はその意味を教えてくれるだろう。神経が細すぎて晩年潰瘍に悩まされた漱石。感性が強すぎて生涯喘息に苦しんだプルースト。ほぼ同時代に生まれ死んだこの病気もちの二人に、筆者はレトリックが語る皮肉とユーモアの両面において同質のものを感じている。


プルーストの樹木崇拝


 宗教心のない者でもリアルな人形には魂が入っているような気がするものだ。それが木となると、動物以上に長生きするだけに、年輪とか樹齢とかいわれるように、人格的な霊魂が宿ると考えるのは自然である。自然であるだけに、神仏の住処としての樹木崇拝は、古くからインド、ギリシア、ケル卜、ゲルマンの諸民族の原始宗教の根幹をなすものであった。多くの古代社会では森が神仏を礼拝する聖域となった。

 この種のアニミズムについてプルーストは次のように書いている。「死者の魂は、下等物(獣、植物、無生物)の中に囚われ、私達がそばを通る日まで失われている。だが、その日がくると、魂は震え、私達を呼ぶ。解放された魂は、戻ってきて私達と生きる。私はこのケルト人の信仰をもっともだと思う。」(I,44)

 しかしながら、アニミズムは、プルーストにあっては宗教観にとどまらない。それは、言葉のユーモアと、ひいては、言語芸術の開花に直結している。つまり、ラテン語の<anima>から来ている<ame>「魂」は、そこでは、容易に、<esprit>「機知」や<inspiration>「霊感」の観念と結びつく。<esprit>が「精霊」を意味し、<inspiration>が精霊の感応にもとづく閃きであることは、言うまでもない。

 たとえば、話者が、馬車の動きに応じて多様な変化を見せる3つの鐘塔の背後に、歓喜をもたらす深い精神的な意味をむなしく汲みとろうとする、「マルタンヴィルの鐘塔」(I,180−182)の一節では、作者はアニミズムが言葉の問題に還元される点を強調している。「マルタンヴイルの鐘塔の背後に隠れているものは、愉快な語の形のもとに現れたのだから、それは、きっと、美しい章句に似た何かである」(I,181)

 また、先の鐘塔と同じ印象を話者に与える、「ユディメニルの3本の木」(Ι,717−719)の描写では、彼のはっきりとした樹木崇拝が示される。「亡霊のように、それらの木々は自分らを連れて行ってくれ、生返らせてくれ、と私に頼んでいるように見えた。[...]私は木々が絶望的な腕を振りながら遠ざかるのを見た。」(I,719)

 他の箇所でも話者は木に対する深い共感を示す。「私はポプラの木が雷雨に絶望的な哀願と挨拶をするのを見ても悲しくなかった。」(I,152)「私の散歩で、木々が間をあけ、生命を得るのを見た[...]」(III,697)

 話者以外の作中人物でも、上流社交界の水にとっぷり潰かって人間嫌いになっている技師のルグランダンが作者の意見を代弁する。「『私の友はどこにでもいる。傷ついても負けず、身を寄せ合い、冷酷な天に悲壮な執拗さで共に哀願する木々がある所どこにでもいる。[...]私は皆知っているが、誰も知らない。』とルグランダンは、そう早く降伏往ずに答えた。『物は知っているが、人は知らない。だが、物自体がそこでは人に似ている。』」(I,131)ここで、単なる擬人法が問題となっているのではないことに注意されたい。

 漱石は、『夢十夜』の中で、仁王を彫る運慶の芸術の神髄をある男に直喩でこう語らせている。「なに、あれは眉や鼻をノミでつくるんじゃない。あのとおりの眉や鼻が木の中に埋まっているのを、ノミとツチの力で掘り出すまでだ。まるで土の中から石を掘り出すようなものだから、けっしてまちがうはずはない」(「第六夜」)

 天才彫刻家の目に仏の姿は最初から素材の木の中に見えているように、詩的で宗教的な作家の目には、ふたつのものは、たとえたり、たとえられたりする関係ではなくて、どうも、ある対象を眺めていると自然にある姿が見えてくるといったものらしい。この種のアニミズムを利用した比喩は無数に見られるが、樹木信仰はそんな宗教から芸術への転化の主要な源泉をなしているように思われる。