『プルーストの言語批評』


 プルーストの言語と文体に関する記述を引用の許容範囲内で過去の文献から抜き出して、分類・再統合した一種の資料集。付録に著者の修士論文「ふたつの収斂」(インターネット掲載予定)を含む。A5判、総頁300。


 『レトリックからコントラストへ』


 2要素の対比という観点から古典修辞学の遺産を見直し、『失われた時を求めて』から拾い上げた多数の用例(総数3500)を駆使して効率的な文体効果を追求したもの。巻末に500以上のプルースト文献の解題を含む。A5判、総頁423。以下に序章(対比)と第11章(まとめ)の章のみ収録。


序 章  対 比

 古典修辞学は豊かで不毛である。文彩の数と歴史の長さからいえば旧修辞学は豊かである。だが実用性の見地にたてば旧修辞学は不毛である。名前をつける喜びがきずきあげた古典修辞学の遺産目録をみればこのことはすぐに理解できよう。バルトは書いている。「文彩の新たな分類を考えることは可能である。修辞学に関心をもっていて今度は自分が文彩を分類しようという気にならない者はいない。しかしながら、われわれには主要な文彩の純粋に操作的な分類がまだ欠けている。なるほど、われわれは、修辞学辞典のおかげで、偽似自嘲法、頭尾反復法、逆言法とは何かを簡単に知ることができるし、しばしば非常に神秘めいた語から実例へと向かうこともできる。しかし、われわれに、逆の行程を歩ませてくれる、文から文彩の名へと向かわせてくれる本はない。古典的テクストをメタ言語自体によって分析しようとするときに役に立つ帰納的な道具がわれわれには欠けているのである。」(1)

 プルースト自身、古典修辞学との対立によってあたらしい修辞学をうちたてようとしていたように思われる。ウイッティは書いている。「プルーストは新しい修辞学を模索する。それは従来の技法の修辞学ではなくてもろもろの価値の修辞学である。換喩による構成がそこでは修辞法の頂点におかれるように思われる。いわば隠喩によって地ならしされた土地を換喩がしめる。」(2)ここで彼のいう「価値」は抵抗なしに「効果」に変えることができよう。

 そんなわけで文体研究のひとつの役目は無用の長物となった修辞学の遺産を効果面からとらえなおすことである。実際の文体分析では個々の修辞法は形式か意味の対比のかたちをとる。対比はcontrasteの訳語である。文学作品についていわば「対比が生じる条件に関する文法」(3)をつくることによって旧修辞学を機能面から再構成してゆく必要があるということだ。そしてこの観点からみたとき『失われた時を求めて』は質・量ともに格好の資料となるようにおもわれる。オブライエンのことばを借りればプルーストは「対句の名手」(4)なのである。

 対比をなす要素はさまざまである。意味の矛盾する2語の突きあわせ。対句をなすもの。場ちがいな語句の挿入。掛詞によるもの。成句のもじり。比喩によるもの。言いかえ、等々。そこではふたつの見かたが可能である。技法とみるか誤用とみるかである。それには作者の意図の有無が関係する。

 プルーストについていえば、その修辞的な意図の存在をうたがうものはいないだろう。中学の修辞学級にはいるまえに、全教程でつかう作家のもろもろの著作をよみおえていたというエピソードまで彼にはある(5)。トラアールも書いている。「プルーストはコンドルセ中学でまなんだ古典修辞学の遺産をおくさずつかう。かれは反復法や累積法や撞着語法や対照法や増幅法や直喩・隠喩のたぐいをじゅうぶん承知の上で用いる。」(6)

 すでにミーはプルーストの文章のなかに二元化の意図を認めていた。2要素の重ねあわせの傾向をである。普通に考えれば二元化は文に安定した秩序を与えそうだが、それはまた文の枝葉の繁殖を意味している。こうしてミーは文の拡張による表現の躍動を二元化の特性のなかによみとろうとする(7)。

 他方でシュピッツァはプルーストに習慣的な3形容詞の列挙までこうした二元化のなかで説明しようとしていた。「この種の三元体は中央の要素を他の2要素が両側から対称的にささえるという構成をなすことで決定的なものとなる。とはいえ、これらの3形容詞は類義語ではないことに注意しよう。それどころかそれらは可能なかぎりことなった領域から借りてこられたものである。」(8)

 しかし対比の観点から見てもっとも直接的な技法は逆説であろう。撞着語法や対義結合ともよばれる。oxymoron, paradoxismeの訳語である。それは意味の矛盾する2語をつきあわせることで複雑な感情を表出したり、通常の論理的な語法では表現しえない真理を表現しようとするものである。逆説とともに対比の代表的な形式をなす修辞法に対句がある。対句はantith峻eの訳語である。対句とは一般に意味や用法のことなるふたつ以上の語句を文中で対照的にならべる方法である。したがって逆説は対句の極端なケースにほかならない。

 ところで実際的な文体分析のまえにもうひとつだけはっきりさせておかねばならないことがある。それは『失われた時を求めて』の文体に対する筆者の基本的な姿勢である。筆者はプルーストの文体を口述筆記的なものとして解釈している。筆者が文語修辞学の立場をすてて雄弁術のほうへ近づこうとしているのはつぎの理由による(9)。対比だけの分類や分析は作品の文学性という観点からみれば不十分きわまりないものである。文学性の評価がテクストではなく言語レベルか文のレベルの分析だけでなされるとすればそれはナンセンスである。実際には形式は内容ときりはなして考えることはできない。それでも研究者が文学作品をひとつの芸術としてアプリオリに解釈することをやめて、それを従うべきことばのモデルとしてとらえるならば、そうした不都合はさけられるだろう。

 この観点から『失われた時を求めて』をながめたときに、われわれは作品の基調をなしている気ままではあるが洗練されたおしゃべりのリズムに目を向けざるをえない。書きことばとしてのプルーストの文章は不自然に長すぎてどうみても読者なかせの悪文だからである。およそ読者に過度の注意力を強いるような文章は、それが独創性として正当化されるとすれば、それは純文学の領域だけにかぎられよう。そんなわけでプルーストの文章はみならうべき書きことばのモデルにはならないように思われる。

 それでも彼の文章を、彼がサロン他の場所で、話し上手な貴族や社交人たちとの出会いをとおしてしだいに身につけた話術のたまものとして解釈すれば、われわれはその文章の奇矯な長さにも納得がゆく。この点については、サロンでプルースト自身が『失われた時を求めて』の何節かを朗読するのをきいたり、かれとの会話を楽しんだりしたプラントヴィーニュの重要な証言がある(10)。それによれば、普通に長いものと思われているプルーストの文章が彼の朗読のおかげで、黙読するときより短く感じられたというのである。それは、彼が適当にくぎって発音したり、声の調子をかえたり、ある語を強めたりしたからであろう。そうした口頭の句読法はどのような印刷句読記号によっても再現できないものであったとプラントヴィーニュは証言している。この事実は『失われた時を求めて』の文章が基本的には話しことば的であるという考えかたをみとめさせるに足るものである。実際、クレミューもいっているように、プルーストの文体の出発点となっているのは「大ブルジョワジーや貴族たちのパリのサロンの話しことば」なのである(11)。

 筆者が文学性の探求をやめて本来の修辞学のほうへむかっている二番目の理由は、直接に対比の概念とかかわっているだけにもっと重要である。話しことばでは書きことばほどの複雑な構成をとれないこともあって一気に人のこころをとらえることが問題となる。それだけに会話では印象効果からみた効率がなによりも優先される。ある種の純文学のなかにあるような効率を無視した相手に多大な精神的負担を強いるような話しかたはそこでは断絶に直結している。かといってニュースの報道やある種のおしらせのようにただ意味がわかればよいという話しかたは無味乾燥につながる。そんなわけで会話では話し手は必然的に話のなかに聞き手が注意しなくても自然に注意をひかずにはおかないような刺激をちりばめようとする。

 プルーストにあっては、対話のなかでみせる即座に人のこころをつかむ形式上のくふうは対比であったように思われる。その根拠としてまたプラントヴィーニュの証言をひきあいにだそう。「プルーストの会話のおおきな魅力のひとつはその即席の不協和音のなかにあった。この光と影をつきあわせるあそびのくりかえしは相手をうっとりと不意をつかれる期待のなかにいつまでも残したものだった。それらのおどろきは直喩や隠喩といった比喩ないしはいいまわしの迂回をとおして待ちわびていたものだった。彼はわれわれをうたうような声のビロードのやわらかな波のなかに、魅惑的な隠喩の小道のほうへいざなったものだった。そして突然、いじわるそうにほほえみながら挿入節という名の1本のくいをうちこむ。それによって彼は自分の飛躍がもたらした大言壮語に手をくわえ、優雅さは変わらないがもっとひかえめな表現のほうへと降りていったものだった。いわばこちらの表現はそれまでの大言壮語を少々うぬぼれやなおおきな兄貴だとみなしていて、彼とともにこのしかたのない兄貴をわらってくれと誘っているように思われた。あるいは突然考古学者か建築家か画家か細工師か彫金師のような正確さで彼の過敏な感性が事物の現実と物理的にふかくむすびついた職業用語や専門用語に実際満足していることを示そうとしたものだった。」(12)

 引用が長くなったが、この証言はプルーストの話しことばの対比形成的な性格をはっきりと示している。筆者が『失われた時を求めて』の文章のなかからひきだそうとしているのはこのようなプルーストの雄弁術に属する要素なのである。たとえ『失われた時を求めて』のなかに文語的な要素がつめこまれているとしても、プルーストが書きもののなかに話しことばの即物的な調子をひきいれるのをいみきらっていたとしても、この作品が洗練された話しことばのモデルであるかぎり、文学性をうんぬんする必要はないのである。

 ここで文学作品の文体に対する筆者の考えかたを集約する意味で、かりに効率文体論という多少おおげさな名前をそれにあたえよう。それは次のように定義される。効率文体論は文学作品の特定の一節の文体だけをその対象とする。文学作品とはひとめで高度に修辞的な配慮のなされていることがわかる書きものである。文体とは通常の論理的な語法や統辞法では表現しがたい複雑な現実を端的に表現するための対比である。

 普通にいわれているように、文体を規範からのずれだとみなせば、それは単なることばのあそびか誤用から区別されない。古典修辞学やグループμの『一般修辞学』はこの種の奇形学か病理学的な探求に直結しているように思われる。

また形式批評や構造文体論は大なり小なり閉じた体系としてのテキストの有効性を論じるものであるから、そこでは文体は規範からのずれでないとはいえ、今度は文学性というやっかいな問題をかかえこむことになる。もちろん筆者は文学性の存在を否定するものではない。ただ文体の実用的な解釈をなりたたせるために作品の文学性を便宜上無視しようというわけである。

 作品の芸術性を無視してなおも残るもの、なおも研究に値するものとは本来の修辞法つまり人のこころを動かす技術としての雄弁術である。いくら内容がふかくても難解なものはなかなか多くの人のこころをつかむことができない。みじかければ読まれた小説がながいために読まれないことがある。わかりやすいとおもしろく読めた詩が難解なために放棄されることがある。文学でも詩学でもなくこうした本来の修辞学にたちかえるとき、われわれはまずはじめに弁論術が想定したような一般大衆、つまり平均的な読者というものについて考えざるをえない。

 このように考えてくるとき、効率文体論の構築のための諸条件は従来の修辞学にはない特性としてあらわれてくる。たとえば詩はいっぱんに小説以上に高度の修辞的な配慮がなされている。しかし、詩句にこめられた内容がふかすぎて読者のおどろきはおおきくても、納得するのに多大な時間と労力とを要するのがつねである。場合によっては、最後まで意味がわからないままになることもある。詩の本質が際限のない共示であってみれば、それは当然であろう。そんなわけで、効率文体論の立場からすれば、詩は効率的ではない。小説も全体としてみるかぎり長さに難がある。しかし、効率文体論では、一節一節をわけて考えるので小説のほうは問題がない。そこでは、ひとめでみわたせないような長文は考慮されない。長い文章は内部にどれほど技法のくりかえしがみられようと、そこでは文脈とみなされる。文脈は各人のあいだでとりかえのきく部分である。

 効率文体論は、形式面では、対比が生じる条件の分類をめざすものである。そして、内容面では、効率的な印象効果の追求をおこなうものである。その役目は対比が生じる条件をこまかく調べることによって、各人が応用できる即興的なことばのおもしろみのようなものをまえに押しだすことにある。ポスターやCMのように瞬時に人のこころをとらえる強調が問題となる。広告産業は商品を知らせるために効率を追求する。効率文体論は、複雑な現実を経済的に相手につたえるような効果的な表現を探求する。慣用となった撞着語法かことわざをみればわかるように修辞的な要素のなかで言語学によって真に重要なのはこの種のすぐに読者が納得できるような対比なのである。

 この原理は記憶術とむすびつけて考えてことができる。ふつうの人間は日常生活になれきっていて、そのリズムをかえないような小さなできごとには関心をしめさないから、それらはすぐに忘れられる。しかし、現実にしろ虚構にしろリズムをくるわせる場面は脳裏にこびりつくものだ。連想記憶術は、人間のもつこの普遍的な性質を利用する。印象効果をたかめるために、相手におぼえさせようとするものを、たとえば、血なまぐさい連想をとおしてこころに植えつけようとする。ペンで目をつく、ナイフで耳をそぐ、ハンマーで頭をわる、といったふうにである。

 ある種の対比にはこれと似たような効果があるように思われる。たとえば、眠りにつくの代りに「ベッドのなかに埋葬される」sユensevelir dans le lit(I,28)。臭いにまみれるの代りに「臭いの鳥もちでべたべたする」sユengluer dans lユodeur(I,50)。キスをするの代りに「キスの針をちくりと刺す」piquer un baiser(I,162)。こうして、最初の例では「このまま眠るのがいやでたまらない気もち」が、2番目の例では「くさくてかなわないようす」が、また3番目の例では「サディスティックなうずくような性愛」が効果的にしめされる。なんでもないようなできごとでも、異常な行為や状況とむすびつけられると、印象的なものになりうるのである。

 では、以上のことをふまえたうえで、本論に入ろう。『失われた時を求めて』のテクストは旧プレイヤード版(3巻)によっており、引用の指示は慣例にしたがって、巻とページとの略号でなされる。原文の引用は、一般に、最小限の対比の部分しか含まないものとする。必要に応じた文脈の説明は、原則として訳文の提示による。訳出は、原則として、井上究一郎氏の邦訳(筑摩書房版)による。氏の訳業に感謝するとともに、煩をさけるため、訳文引用の指示はなされない点を明記しておく。

(1) R. Barthes,『旧修辞学便覧』、沢崎浩平氏訳、みすず書房、pp.146-7

(2) K. D. Uitti, Le Temps retrouve Sens, Composition et Langue, Dans: Romanische Forschungen, vol. 75, 1963, p. 346

(3) M. Riffaterre, Essais de Stylistique Structurale, Flammarion, 1971, pp.69-70

(4) J. O'Brien, Proust's Use of Syllepsis, Dans: PMLA, vol. 69, 1954, p. 747

(5) cf. A. R. Porter, The Technique of Parody in the Works of Marcel Proust, Univ. Microfilms, 1969, p. 59

(6) P. Trahard, L'Art de Marcel Proust, Dervy, 1953, pp. 51-2

(7) cf. J.Milly, La phrase de Proust, Larousse, 1975, pp. 164-87

(8) L. Spitzer, Etudes de style, Gallimard, 1970, p. 409

(9) 修辞学がはじめは弁論術であった点に注意されたい。実際、現代において再評価されているのは文語修辞学ばかりではない。たとえば、ペレルマンらは『新修辞学』で弁論術関係の遺産のとらえなおしをおこなっている。修辞学は本質的には人のこころを動かす説得の技術なのである。cf. Ch. Perelman, La Nouvelle Rhetorique, PUF, 1958

(10) cf. M. Plantevignes, Avec Marcel Proust, Nizet, 1966, p. 144

(11) B. Cremieux, Du Cote de Marcel Proust, Lemarget, 1929, p. 48

(12) M. Plantevignes, op. cit., pp. 144-5


第11章 まとめ


 以上の章において、われわれは、次のようなレトリックの諸例を効率的な立場から見てきた。逆説、対句、換言、反復、兼用、掛詞、成句、隠喩、換喩、直喩。これらの項目は修辞学的な分類とかならずしも一致していない。逆説と対句と直喩を除く修辞法は、対比の観点から、古典的な分類のそとで総括的に命名されている。換言(言いかえ、訂正、翻訳説明、緩叙法)、反復(単語内での文字の反復、語句の連鎖的な反復)、兼用(シレプス、くびき語法)、掛詞(両義法、異義復言、類音語法)、成句(成句、引用句、故事、諺などのもじり)、隠喩(隠喩、擬人法、誇張法)、換喩(換喩、換称法、代換法、キアスム)。

 逆説や現前の隠喩などでは、対比は相互に矛盾した意味をもつ隣接した2要素のあいだでなされる。直喩では、たとえる要素とたとえられる要素とのあいだで、対比はなされる。シレプスやくびき語法などでは、対比は第1要素と、その一部をなす省略部分を頭のなかでおぎなった第2要素とのあいだでなされる、と考えるのが自然である。列挙の様相を示す文字の反復や、換言や、兼用などでは、問題の要素の内部で対比がなされる。文字の反復か不在の隠喩・換喩・掛詞・成句などでは、対比は各人の頭のなかにある暗黙の言語規範(常識か専門知識)とのあいだでなされると考えられる。一般に問題となるのは文体素styl塾e か文脈素ともいえるような直接的な対比の文脈をもっているかどうかである。


対比形式の分類

 1. 逆説とは2要素の隣接によるなんらかの反意性の強調である。

逆説の基本的な形式は形容詞と名詞の対比である。

monstres sacres(・,685)神聖な悪魔

heroique poltron (I,923)勇敢な臆病者

2. 形容詞相互の対比では逆説性は、一般にetによって高められる。

air fastueux et souillon (I,903)豪華で薄よごれた身なり

femmes oisives et studieuse(I,78)何もせずに勤勉な女たち

souvenir reconnaissant et rancunier(・,254)感謝していて恨んでいる気もちを残すこと

ambitieux et timore M. de Vaugoubert (・,664)

野心家で小心だったヴォーグーベール氏

quartier aristocratique et populaire(・,62)貴族的で庶民的な地区

 3. 形容詞相互の対比でコンマもほぼetとおなじ役割を果たす。

air languissant, hardi(I,903)活気がなくて活発な様子

vision detestee, adoree(・,634)憎むべき愛すべき幻影

 4. 形容詞(同格名詞)相互の対比でハイフンもほぼetとおなじ役割を果たす。

Krassotkine, l'ennemi-ami d'Aliocha(・,380)アリョーシャの敵で味方のクラソトキン

 5. 形容詞相互の対比では逆説性は・la fois などによって強調される。

raison a la fois insignifiante et profonde (・,1045)無意味で深い意味をもつ理由

soeurs de Bloch, a la fois trop habillees et a demi nues (I,903)着すぎていて半裸同様のブロックの姉妹

 6. 文節相互の対比では、逆説は一般に最初の要素の否定によって得られる。ただし、ここでも、etが逆説性を高めていることに注意されたい。

il est attache et il ne l'est pas(・,812)彼はしばられているが、じつはそうではない

elle est intelligente et elle ne l'est pas(・,887)彼女は頭のいいひとであって、またそうではない

je connais tout le monde et je ne connais personne(I,131)私はだれとも知りあいですし、だれとも知りあいではありません

c'etait vrai et ce n'etait pas vrai(・,1143)それは真実であったし、真実でなかった

 7. 反意性の強調である逆説に対して、対句はなんらかの平行性の強調である。したがって類似のパターンが反意性を感じさせるところに対句の対比がある。形容詞の対句では、平行性はなによりも副詞によって得られる。

admiration moitie mondaine, moitie zoologique (・,704)なかば社交的な、なかば動物学的な感嘆

pere, aussi obstine que les arbres et aussi impitoyable que le ciel (I,131)木々のように執拗で、天のように無慈悲な父

 8. 形容詞の対句では、平行性は補語を導く副詞か前置詞によって得られる。

belle comme un ange, mechante comme un demon(・,634)天使のように美しく悪魔のようにいじわるな女

employe stupefait du revirement et charme du pourboire(・,863)急旋回には面くらい、チップにはほくほくするポーター

salut plein de respect mais vide de signification(・,274)うやうやしいが、空疎な一礼

 9. 形容詞の対句では、平行性は節を導く接続詞句によって得られる。

a la fois satisfait parce qu'il etait vaniteux, et afflige parce qu'il etait bon garcon(・,1040)虚栄心が強いせいで、その言葉に満足すると同時に、人がいいために、相手の心情に心を痛めた

la grosse lampe de la suspension, ignorante de Golo et de Barbe-Bleue, et qui connaissait mes parents et le boeuf a la casserole(I,10)ゴロにも「青ひげ」にもなじみはなくて、家族やビーフ・シチューのことはよく知っている、大きな釣りランプ

10. 名詞の対句では、平行性は所有形容詞によって得られる。また形容詞づきの名詞の対句では、平行性は形容詞によっても得られる。

sa clairvoyance et son pessimisme(・,330)その先見の明と、そのペシミスム

sa robe rouge ou sa figure pale(I,10)彼の赤い服、または青い顔

ses traits expressifs, son teint sans fraicheur(I,308)彼女の表情たっぷりの顔立ちや、さえない顔色

ses doutes sur la probit・de Francoise ses soupcons de l'infidelite d'Eulalie(I,117)フランソワーズの誠実さに対する疑念、ユーラリの不誠実に対する嫌疑

11. 名詞の対句では、平行性が正反対の意味の2形容詞によって得られることもある。

un petit chapeau avec ses gros yeux(・,736)小さな帽子をかぶって、大きな目をむいて

je vais te demander un grand sacrifice, va faire une petite visite a Mme Sazerat.(・,151)たいへん申しあげにくいおねがいがあるのですけれど、ちょっとご挨拶にいってください。

12. 名詞の対句では、平行性は数字の共通か類似によって得られることがある。

quatre billets de mille francs[...]un billet de cinquante francs plie en quatre(・,521)叔母が千フラン札を4枚やるのを見たともいうのだが、50フラン札1枚を4つに折ってやったというのでさえ、私にはありえないような気がする

un rubis de trois mille francs[...]pour trois cents francs une pierre(I,201)3千フランのルビーをつまらないものだといって医師に贈る代りに、300フランの模造宝石を買い、こんな見事なのはざらにはないと医師にいった

13. 前置詞づき補語の対句では、平行性は正反対の意味の2前置詞によって得られる。

sous sa plume ou sur ses levres(・,909)彼のペン先からも、口先からも

Sans enthousiasme, mais avec chemise(・,586)感激はおもちにならずに、寝間着をおもちになって

14. 語句の言いかえは、形式上の平行性を要しない点で、対句と異なる。

c'est une enigme, un veritable sphinx(・,282)あのラシェルってのは謎だよ、まったくのスフィンクスだ。

tout le monde[...], betes et gens(I,58)コンブレーでは、動物も人間も含めて、みんなのことがよく知られていた

des garden-parties, moi j'appellerais 溝 des invites a se promener dans les egouts.(・,701)私なら下水道散歩奨励会と呼ぶガーデン・パーティー

ce qu'on appelle en Angleterre un lavabo et en France, par une anglommanie mal informee, des water-closets(I,492)イギリスではラヴァボと呼ばれているのに、フランスではウォーター・クロゼットと呼んでいるもの

15. 翻訳説明では、接続詞句が関係を明示する。

mon ame, c'est-a dire moi-meme, et en somme le principal interesse(I,500)私の魂、すなわち私自身であり、つまりは主要当事者である私の魂

la perte que me faisait eprouver la reclusion, c'est-a dire la richesse que m'offrait la journee(・,138)蟹居生活が私にこうむらせる損失、つまり一日が私に差し出す豊かな富

16. また翻訳説明では、まるかっこが関係を明示する。

je ne suis pas ( j'attendais un saint ) une ange(・,829)私は何も(聖人じゃない、というのかと思っていたら)天使じゃない。

Peut-etre, peut-etre (ce qui signifiait peut-etre non) (I,101)もしかすると、もしかすると(前者は、そうなるかもしれない、後者は、そうならないかもしれない、という意味で)

17. 訂正は換言の項目のなかではもっとも効果的な対比の手段である。

ce n'est pas l'electricite, c'est la douleur.(・,472) 1秒間に地球の回りをより多く回転する力は、電流ではなく、苦痛である。

Ce que je veux, c'est une poignee de main, ce n'est pas un coup de chapeau(・,947)私が望んでいるのは、手をにぎりあうことであって、帽子の一礼ではない。

comme une cathedrale, mais tout simplement comme une robe(・,1033)私は自分の書物を作りあげるだろう──カテドラルのようにとはあえて揚言しないが、着物を縫いあげるようにだ。

elle disait une phrase, pas meme, un quart de phrase(・,230)あの女は1句を口にしては、いいえ、1句どころか、4分の1句を口にしては、もうつまってしまう。

18. 緩叙法では、表面的な否定の形を借りた強い肯定が問題となる。

Ce nez de M. de Cambremer n'etait pas laid, plutot un peu trop beau, trop fort, trop fier de son importance.(・,913)カンブルメール氏のその鼻はみっともなくはなかった、むしろその大きさのために、いささかりっぱすぎ、たくましすぎ、いばりすぎていた。

si on savait la politesse, on n'ignorait pas non plus l'impertinence.(・,192) ただ礼儀を知ってもいましたが、無礼もまた知らないではありませんでした。

il ne parlait pas sans que sa voix tremble, sans qu'il les appeles exploiteurs de femmes(・,283) 彼はその2人の話をするとき、声をふるえさせずにはいられず、女をあさりあるく男たちと呼ばずにはいられなかった。

19. 単語の内での文字の反復は、すべて、なんらかの皮肉の意図によるものである。語頭での反復が一般的。語中での反復も見られる。語末での反復は見られない。

nnnnon(・,580)いいいいえ

bbbien(・,265)よよよく

bbboche(・,844)ボボボッシュ

gggrand(・,581)だだだいの

enfffant(・,222)こここ

KKKKultur(・,1005)ぶぶぶぶんか

fffantastique(・,890)すすすてきな

LLLLegrandin(I,745)ルルルルグランダン

20. 語句の連鎖的な反復も多くは皮肉の意図による。2〜3度の反復が一般的。短い語では4〜5度の反復まで見られる。

O浜, o浜, o浜(・,230)なあるほど、なあるほど、なあるほど!

heue, heue, heue(I,753)ふん、ふん、ふん

Non, non, non, non(I,687)いえ、いえ、いえ、いえ

Zut, zut, zut, zut(I,155)ちぇっ、ちぇっ、ちぇっ、ちぇっ

Ah!-ah!-ah!-ah!-ah!(I,289)ほう!ほう!ほう!ほう!ほう!

Oui, oui, oui, oui, oui(・,792)はい、はい、はい、はい、はい

Casser, casser, casser(・,340)割る、割る、割る。

A la garde! A la garde! (I,91) 用心!用心!

grand pied de grue, grand pied de grue, grand pied de grue(・,164) 鶴の大足、鶴の大足、鶴の大足

21. 名詞の兼用では、その前置詞づき補語相互の対比が問題となる。

interpellation de la voix et du regard(I,22)声と視線の尋問

reponses...du jardinier et du barometre(I,165) 庭師と晴雨計の答

a la figure et a la voix pleines de cicatrices(I, 662) 傷だらけの顔と声

22. 形容詞の兼用では、その前置詞づき補語相互の対比が問題となる。

pleine de coeur et de gaffes(・,584)真心とへまとにみちた女性

colline plongee dans la nuit et dans l'eau(I,152) 夕闇と水の中に沈んだ丘

cou courbe par la fatigue et l'obeissance(・,735)疲労と服従とに曲がったその首筋

23. シレプスの基本的な形式は動詞の兼用である。動詞の兼用では、その直接目的補語相互の対比が問題とする。

tomber la poussiere et l'emotion(I,89)埃と感動が静まる

on ne lui demandait pas de livrer sa patrie, mais son ccorps(・,831)国を売ることではなくて、からだを売ること

la femme offrit ses benefictions et derechef ses fleurs(・,863)女は祝福と花をさしだした。

elle pouvait avoir une figure rouge, une cravate mauve(I,175)赤い顔とモーヴ色のスカーフをする

ces cadeaux qui meublent une chambre et la conversation(I,647) 部屋と会話を飾る贈物

24. くびき語法では、動詞(ときに関係代名詞)の省略が問題となる。省略が1度のものは一般に対比の効果が小さい。

c'etait le mari qui portait les jupes et la femme les culottes(・,645)この夫婦のなかで、スカートをはいているのがご主人、半ズボンをはいているのが奥さん

25. くびき語法の基本的な形式は動詞の2度の省略である。2度の省略によるくびき語法では、諸要素は列挙の様相を帯びる。したがって、われわれの対比の立場からいえば、それは効率的ではない。

Les noms reprennent leur ancienne signification, les etres leur ancien visage; nous notre ame d'alors(・,544)名前は昔の意味をとり戻す、人々は昔の顔を、そして我々は当時の魂を。

un mari trompe voit partout des maris trompes; une femme l使俊e, des femmes l使俊es; le snob, des snobs.(I,743)だまされた亭主はいたるところにだまされた亭主たちを、浮気な女房はいたるところに浮気な女房たちを、スノッブはいたるところにスノッブたちを見出す

cette sorte de connaissance instinctive et presque divinatoire qu'a de la mer le matelot, du chasseur le gibier, et de la maladie, sinon le medecin, du moins souvent le malade. (・,358)それは船員が海について、猟師が狩の鳥獣について、医師でなくてもしばしば病人が病気についてそれぞれもっているその種の知識のようなものであった。

Le soldat est persuade qu'un certain delai indefiniment prolongeable lui sera accorde avant qu'il soit tu・ le voleur, avant qu'il soit pris, les hommes en general, avant qu'ils aient a mourir(I,608)兵士は戦死するまでに、泥棒はつかまるまでに、また一般の人は死ぬまでに、まだ無限の猶予期間があたえられていると思いこむ

26. ひとつの語にふたつの意味をもたせるレトリックは両義法(attelage)。両義法では、対比は暗黙の言語規範とのあいだでなされる。したがって、対比の効果は両義法では直接的ではない。

une bouffee de sa pipe(I,215)[笑う代りに]パイプから一ふき

Les expressions de son visage semblaient ecrites dans une langue qui n'avait que pour moi(・,775)私だけのための言語で書かれているように思われる彼女の顔の表情