テンプル・グランディン (Temple Grandin)著

「自閉症の才能開発−自閉症と天才をつなぐ環−」


この本の著者であるテンプル・グランディンは6歳の時に自閉症と診断され、その後自分自身の神経的な発作や触覚刺激に対する過剰な反応を抑制するために牛樋からヒントを得て17歳で「締め付け機」を試作し始め、その後研究と改良を加えられた「締め付け機」は世界中で使用されていることは前作の「我、自閉症に生まれて」の出版後、よく知られている。前著ではそれまで存在しないといわれていた自閉症の内的世界について記述されていたが、前作から10年経った本作品では彼女の体験や周囲の世界の理解への試みや考えが非常に科学的ではあるが、それがなぜか分かりやすく生き生きと描写されている。

なかでも、本文中で著者が振り返る生い立ちからは、彼女が体験した世界を垣間見ることができる。幼少期は多くの自閉症児が示すのと同様、彼女が防げなかった襲い掛かるような物音や、肌触りや味覚。キーキー声を上げ、際限もなく体をゆすり、人との関わりを拒んでいた状態における混乱や恐怖の体験について読者も不思議とイメージすることができるように記述されている。

自閉症の深刻症状が消失した小学校からは彼女の周囲と交わりたいが恐れていたこと、周囲に理解してもらえないという体験とともに彼女の持つ才能や彼女のことを理解してくれる大人の重要性を感じさせる。彼女をノーマルにしようとするのではなく、あるがままを受け止めてくれる者が、「自閉症の独特の才能を伸ばすとともに、彼女たちが理解できない世界からの逃げ場所」と彼女は内省しているが、改めてエルデ・アスペの会をはじめとする、彼女たちの居場所となる機関の重要性と成すべき事を教えられたような感じがする。

青年期以降は彼女が人の意図をくむ困難のために、他者を科学的に、組織的に理解しようとする試みが、仕事上の取り引きやデートなどの具体的な場面を例示して述べられている。そして、彼女も感じているように他人の気持ちや、感受性、癖などを十分ではないにしろ、しっかりと理解して、尊重している感覚が随所に表われている。その素晴らしさとともに、我々が苦労なく獲得しているその過程について、彼女が苦労して一つ一つ徐々に積み重ねていったものなのであろうと感じさせられた。

最後に、彼女は「もし私が非自閉症になる可能性があったとしてもそうしようとは思わない。だってそうなったら、もう私は私自身でなくなるからです。自閉症は私という人間の一部なのです」と述べている。彼女が自分のことを理解した上で、周囲と比べて劣った人間ではくて、個性のように、あるがままの自分として肯定的に受け止めることができているから出た言葉だと思われる。そのような彼女が書いた本書は自閉症の才能開発として、単に自閉症の独特の認知を療育、教育、医療の分野に携わるものに教えてくれるだけでなく、彼女はどういう人で、どういう体験をしていたのかを(一見脈絡がなかったり、急に話が変わったりと、読みにくい部分も存在するが、そういった側面も含めて)非常にわかりやすく伝えてくれようとする彼女の気持ちの温かさのようなものを不思議と感じてしまう本であった。

(名古屋大学大学院教育学研究科 宮本 淳)